ポストの青い音
小田桐澄香は、姪の誕生日カードを午後からずっと書き直していた。五歳の子に長い文章はいらない。結局、丸い字で「おめでとう」とだけ書き、犬のジュノの前脚を借りて、薄茶色の肉球スタンプを一つ押した。
インクを拭き終えた直後、獣医から電話が来た。今夜、呼吸がさらに苦しくなったらすぐ連れてくること。無理に歩かせないこと。十六歳のジュノに残された時間を、数字では聞かなかった。
カードの集荷は明朝八時。玄関前のポストへ今夜入れておけば間に合う。澄香は封筒へ切手を貼り、ジュノの首輪にリードをつけた。
ポストまでは商店街を一つ抜ける。シャッターの下りた花屋、まだ明るい弁当店、店先を水で流す魚屋。ジュノは魚の匂いに顔を上げたが、以前のように引っ張らなかった。澄香は封筒が折れないよう胸に挟み、歩調を合わせた。
青いポストは、赤いものより低くて四角い。地域の景観に合わせた古い型だ。ジュノはその足元で必ず右へ回り、裏側を嗅ぐ癖がある。今夜も半周したところで止まり、残りを澄香に見上げた。
「一周じゃなくても届くよ」
澄香はしゃがみ、胴を支えた。ジュノはもう半周だけ歩き、元の位置へ戻った。
封筒を投入口へ入れる前に、宛名を指でなぞる。カードにはジュノが今夜どうしているかも、次の誕生日にいないことも書かなかった。五歳の誕生日には、肉球が一つ届けばいい。
投入口のばねは固かった。片手でふたを押し上げ、もう片方で封筒を滑らせる。途中で角が引っかかり、ジュノのリードが手首からずれた。
澄香は足でリードを押さえ、封筒を指先でもう一度押した。
切手は少し右へ傾いていた。澄香は貼り直さず、封筒の裏に残ったインクの指跡だけを袖でこすった。ジュノの肉球スタンプは中のカードにある。外から見える必要はない。商店街の時計が集荷時刻までの残りを静かに進めていた。
カードが箱の底へ落ち、青い鉄板の内側で軽い音を立てた。投入口のふたが閉まり、肉球一つ分の用事が済んだ。