レベル上げをしない午後

 波多野亜澄と森宮和音は、協力型のゲームを買ってから三か月、まだ最初の町を出ていなかった。

 日曜になると亜澄の部屋へ集まり、電源を入れる。けれど冒険へ出る前に、昼食を決め、動画を見て、近況を話しているうち、ゲーム画面は宿屋の前で止まったままになる。

「今日は進めるよ」

 和音がコントローラーを握った。

「先週も言った」

「今日は回復薬を九十九個買う」

「所持金なくなる」

「安心を買う」

「現実と同じだね」

 二人は笑い、キャラクターを道具屋へ向かわせた。

 亜澄は冷凍ピザをオーブンへ入れた。

 焼けるまで十五分。和音は店の商品を一つずつ眺め、必要のない木の棒や空き瓶まで買おうとする。

「持ち物が増えると重くならない?」

「ゲームだから平気」

「部屋もそうならいいのに」

 亜澄の床には読みかけの本と畳んでいない洗濯物がある。

「この部屋、アイテムボックスないの?」

「ソファの下」

「それは収納じゃなくて隠蔽」

 ピザの焼ける匂いがして、二人はゲームを止めた。

 チーズの端が焦げ、トマトソースが熱い。炭酸水を開けると、細かな音が部屋へ弾けた。

 食べながら、和音は職場の席替えで窓際になった話をした。亜澄は、最近ベランダへ鳩が来る話をした。

「鳩に名前つけた?」

「左足が白い方を〈会長〉

「また役職」

「窓の外から偉そうに見てくるから」

 食後、再びゲームへ戻った。

 町の出口まで行くと、仲間の準備が整っているか確認する表示が出た。

「行く?」

「その前に、会長いるか見て」

 二人で窓へ寄る。鳩はいなかった。

 代わりに、洗濯物が風で揺れ、午後の雲がゆっくり流れていた。

 ゲームへ戻ると、画面が省電力で暗くなっていた。

「冒険、また来週?」

「レベル上げくらいする?」

「町の中で?」

「店主に話しかける練習」

 和音は同じ店主へ何度も話しかけた。返ってくる台詞は毎回同じなのに、声色を変えて読み上げ、亜澄が勝手に続きをつけた。

 夕方、ゲーム内の時間だけが夜になった。

 現実の部屋にも西日が入り、空のピザ箱へ淡い光が落ちる。

 二人のキャラクターは宿屋へ戻り、一歩も町の外へ出なかった。

「進捗ゼロ」

 亜澄が言う。

「回復薬は九十九個」

「過剰」

「でも来週、いつでも出られる」

 和音が帰ったあと、亜澄はコントローラーを二つ並べた。

 部屋には焼けたチーズと炭酸の甘い香り、ソファには友人が長く座っていたへこみが残っている。

 冒険を始めなくても、同じ町でうろうろする午後は、十分に二人の物語だった。