一本ずつ眠らせる黒い櫛
王太子妃の婚礼前夜、まつ毛染めが大失敗した。
黒い液を塗るほど毛は束になり、左右に五本ずつの太い棘ができる。宮廷化粧師は「黒さが足りない」とさらに重ね、妃は鏡を見るたび目を伏せた。明朝には十二国の使節が待つ。やり直せるのは一度だけだった。
針金工房から呼ばれたベルカは、前世で化粧品の容器を設計していた。彼女が作ったのは新しい染料ではない。細い二本の針金を撚り、その間へ短い毛を螺旋状に挟んだ、小さな黒い櫛だった。
「虫掃除の刷毛で妃殿下へ触れるな」
化粧師長が取り上げようとする。ベルカはまず、羊毛で作った二つのまつ毛模型へ同じ量の染料を塗った。一方は従来の平筆、もう一方は螺旋櫛。平筆側は三塊になり、螺旋櫛側は一本ずつ扇のように開いた。
秘密は染料ではなく、塗る前に櫛の余分な液を筒の縁で落とし、根元から先へ回しながら通すことだけだ。
妃は右目をベルカへ預けた。一本、二本と黒い毛がほどけ、十数秒で目の輪郭が現れる。左目の棘と並べると差は明らかだった。涙を一滴流しても、右目の毛は互いに貼りつかない。
化粧師長は熟練者にしか使えないと主張した。ベルカは侍女六人へ新品の櫛を渡し、木板に描いた線をなぞらせる。全員が一度で同じ扇形を作った。平筆では一人五分かかった作業が、螺旋櫛なら一分半だった。
妃は両目を仕上げてもらい、白い婚礼布を上げた。黒い棘に隠れていた瞳が、鏡の中でまっすぐベルカを見返した。
翌朝、妃が使節へ礼をすると、真珠飾りより先に整った目元へ賛辞が集まった。誓いの最中に涙がこぼれても、黒い液は頬へ落ちず、毛束も戻らない。化粧師長は自分の平筆を袖へ隠した。
ベルカは式後、同じ螺旋櫛を十本並べた。どれも毛の間隔と長さが揃い、侍女が選んだ一本でも同じ扇形になる。名人の手だけに頼らず、道具そのものが余分な液を落として毛を分ける。侍従長は十本すべてへ合格札を置いた。
妃は婚礼台帳の道具欄へ、螺旋櫛の絵を自ら描き加えた。
「三百本を王宮へ。ベルカを化粧道具工房の主任に任じます」