一杯を二人で

高校の職員室から翌日の数学試験の解答が消えた。施錠記録では、午後七時から七時半まで室内にいたのは教諭の春日井だけである。春日井は「七時十分から同僚の湊川と進路会議をしていた。二人で紅茶を飲んだ」と話し、机には半分ずつ残った二つのティーカップがあった。

容疑者は春日井、用務員の加納、採点補助の大学生・砥上。春日井は答案流出の責任者、加納は合鍵の管理者、砥上は受験塾へ情報を売れる立場にあった。湊川はその時刻、体育館の保護者会に出席していたと判明したが、春日井は「途中で数分だけ来たのだ」と譲らない。二つのカップが、その短い訪問を支える唯一の証拠だった。

生徒指導主事の芳賀は給湯台を確認した。

「手掛かりは三つだけです」

一つ目。電気ポットの給湯記録は、七時以後に百八十ミリリットルを一度だけ出したと示している。これは職員室のカップ一杯分である。

二つ目。春日井側のカップには縁近くまで濃い茶渋の線があるのに、現在は半量。湊川側には低い位置に新しい薄い線しかない。

三つ目。湊川側の縁からは、唾液成分が一切検出されない。茶は入っているが、誰も口を付けていなかった。

加納は湯を使っておらず、砥上は六時半に帰ったと主張した。誰の言葉も決め手にはならない。芳賀は、片方の茶渋が語る「最初は一杯だった」という順序だけを二客へ重ねた。

春日井は机をたたいた。

「湊川先生は、ほんの一口も飲まずに帰ったのかもしれない」

「それなら“二人で紅茶を飲んだ”というあなたの証言と、二客をアリバイにした理由が崩れます」

芳賀は二客を寄せた。液面は同じ高さで静止した。

「あなたは一杯分の湯で、まず自分のカップを満たした。その後、半分を空のカップへ移した。だから給湯は一杯分、最初のカップだけ満水位置に線が残り、二つ目の縁には唾液がない。二人分を飲んだのではなく、一人分を二つへ分け、湊川先生が来たように見せた。この三点で会議の証言は崩れます」芳賀が言うと、春日井は二つの取っ手から同時に手を離した。二客が人数を二人へ増やしても、使われた湯の量と、口を付けた縁の数までは増やせない。校長は採用継続の書類ではなく、警察への通報票を机へ置いた。