三つ目の返却印
三田村玲奈は、妹の結婚式で読む挨拶文を七回書き直し、どれも嘘っぽく見えて図書館へ来た。鞄には、妹が招待状に同封してきた古い「読書手帳」のコピーも入っていた。二人で本を借り始めた頃のものだ。
「姉妹愛が伝わる名文、ありませんか」
矢代小夜は古い日付印を、インク台へ三度押しつけた。
「美辞麗句はいりません」
「式なんです。多少は必要でしょう」
「美辞麗句はいりません」
矢代は無愛想で有名だった。返却本に汚れを見つける目は鋭く、利用者の冗談には一度も笑わない。今日も日付印を握ったまま、玲奈の原稿を上から下まで読み、赤字さえ入れず返した。
原稿には、幼いころ一緒に遊んだこと、進学を励ましたこと、妹が素敵な伴侶に出会った喜びが整然と並んでいる。けれど二年前、母の介護をめぐって大喧嘩したことは書いていない。それ以来、連絡は必要事項だけ。結婚式の挨拶を頼まれた理由も分からなかった。
「本当に言いたいことを一つ」と矢代が言った。
「幸せになってほしいです」
「誰でも言えます」
「ひどい」
「事実です」
矢代は読書手帳の最初の貸出日を確かめ、日付印を原稿の裏へ押した。一つ目の日付は、今日ではなく二十年前だった。
「この日、何がありましたか」
玲奈は首をかしげ、やがて思い出した。妹と二人で初めて図書館カードを作った日だ。借りた絵本を妹が雨に濡らし、玲奈が自分のせいだと嘘をついた。
二つ目の日付は二年前。母が転倒し、姉妹が病院で怒鳴り合った日だった。
「どうして知ってるんですか」
「先ほど、あなたが相談申込票に書きました」
玲奈は自分の字を見て、力が抜けた。
矢代は三つ目を空欄のまま、日付印を机に置いた。
「一つ目は守った日。二つ目は守れなかったと思っている日。では、結婚式は?」
玲奈は長い原稿を裏返した。
『私は妹を守る姉のつもりでした。でも二年前、守るという言葉を、自分の正しさを押しつけるために使いました。今日からは、困ったときに隣へ座れる姉になりたいです』
そこまで書くと、涙で文字がにじんだ。
「美辞麗句はいりません」と矢代が言う。
式の日、玲奈は短い挨拶を読んだ。妹は泣きながら笑い、席へ戻る玲奈の手を握った。
翌週、玲奈は矢代に写真を一枚見せた。姉妹が並び、日付の入った式次第を持っている。
矢代は空欄だった紙に、三つ目の返却印を押した。
「返す日じゃないんですね」
「ええ。今度は、関係を借り直した日です。美辞麗句はいりませんが、日付は残ります」