三センチのゴール
ロボットは、ゴールの三センチ手前で止まった。
科学室の床に貼った黒いテープ。その線を光センサーで読み、白いゴールまで自走する。説明だけなら簡単なはずの機体を、瑛士たちは三年間完成させられなかった。
一年目は右へ曲がり続けた。二年目は速くしすぎて机へ突っ込んだ。文化祭では子どもたちの前で発煙し、顧問に「演出ではありません」と三回説明した。
三年最後の日。借りていたモーターも基板も、明日には分解して後輩へ返す。
「最終走行、開始」
小夜がスマートフォンの録画を押した。
機体は部員たちから「直進君」と呼ばれていた。命名したころ、最も苦手なのが直進だったからだ。
直進君は震えながら進んだ。
最初のカーブを抜ける。二つ目で少し迷い、センサーを左右へ振る。瑛士は床へ顔を近づけたまま息を止める。小夜は祈るように工具箱を握っていた。
最後の直線。
モーター音が弱くなる。
「電池」
「新品」
「配線?」
「触ったら失格」
直進君は速度を落とし、ゴールの三センチ前で沈黙した。
科学室の時計だけが動いている。
「惜しかったね」と小夜が言った。
その声が、いちばん嫌だった。
瑛士は機体の横へ寝転んだ。前輪と白線の間は、指二本ぶん。プログラムは動いている。ランプも点いている。ただ、モーターを回す力がない。
「電池を替えよう」
「最終走行は一回って決めた」
「決めたの私たちでしょ」
「だから守りたい」
小夜は白いゴールテープの端を剥がした。
「何してる」
「ゴールを三センチ近づける」
「反則」
「規則に、ゴールが動いちゃ駄目とは書いてない」
「科学部が詭弁で成功を作るな」
「科学は条件設定です」
彼女は本気だった。
瑛士は笑いそうになり、笑えなかった。三年間、直進君に合わせてモーターを替え、車輪を削り、コードを書いた。最後まで届かなければ、全部が失敗になる気がしていた。
「動かすなら」と瑛士は言った。「ゴールじゃなくて、コース全部だ」
二人で床の黒テープを剥がし始めた。
最終走行の軌跡を、直進君が実際に通った線へ貼り直す。大きく膨らんだカーブ、迷った箇所の細かな蛇行、最後に止まった場所。そこへ白いテープを置いた。
見本とはまるで違う、不格好なコースができた。
「完走」と小夜が言う。
「結果に合わせて問題を書き換えただけ」
「でも、この線はこの子しか走れない」
「再現性ゼロ」
「青春っぽい」
「科学から一番遠い」
録画を止める直前、直進君の車輪が一度だけ回った。電池の電圧がわずかに戻ったのか、機体は白線を三センチ越えた。
二人は同時に叫んだ。
翌日、直進君は予定どおり分解された。
けれど科学室の床には、剥がし忘れた黒い蛇行が一本だけ残った。まっすぐ進めなかった三年間の、誰にも真似できない最短経路だった。