予約済みの版画

限定百部の版画展で、霞ヶ森佳澪は開場一時間前から列に並んだ。

発売直前、鶴巻野由弦が十人の代理人を連れ、入口へ直行した。

「電話で予約済み。全員分、僕がまとめて払う」

画廊スタッフが予約名簿を確認すると、その名はない。由弦はスマートフォンのメールを見せたが、差出人アドレスは画廊のものに一文字足した偽物だった。

「細かいことはいい。現金ならある」

彼はすでに海外サイトへ十枚を出品し、〈作者直筆サイン・証明書付き〉と宣伝していた。

版画家本人が会場奥から現れた。今回の作品は、購入者の名を聞いてからサインし、証明書の電子署名と作品番号を同時登録して完成する。出品写真に写る証明書は、まだ発行されていない様式だった。

由弦は、購入後に名義変更すればいいと言った。

画廊の販売規約では、購入前出品、代理購入、虚偽予約が確認された場合は販売を拒否できる。由弦はウェブ上で規約へ同意したうえ、偽メールを作っていた。

さらに、海外サイトへ載せた作品写真は、画廊の非公開プレビュー画面から無断取得されたものだった。アクセスログには、由弦が取引先のIDを使った記録が残っている。

画廊の法務担当は、偽予約メールと画像の不正利用を保存し、サイトへ削除を要請した。売上金は支払停止となり、購入予約者へは全額返金。由弦と代理人全員の購入資格も無効になった。

「十枚売れれば、この作家の相場を上げてやれるんだぞ」

版画家は静かに答えた。

「私が欲しいのは相場ではなく、作品を見る人です」

佳澪の番になる。彼女は購入ではなく、病院の待合室へ飾るための貸出制度について尋ねた。

作家はその考えを喜び、第一号の作品を病院へ寄贈すると決めた。佳澪には管理協力者として証明書への署名を頼んだ。

作品番号001へ病院名が登録され、由弦の十件の出品が〈商品なし〉で消えた瞬間、予約済みだと割り込んだ男は一枚も持てず、最後まで作品の行き先を考えた人が最初の所有先を決めた。