五時は目覚ましを信用しない

 御影颯の朝は、午前三時四十分に始まる。

 ホテルの製パン室で働き、宿泊客が起きる前にクロワッサンを焼く。目覚ましを三つ並べても、疲れた日は音が夢へ混じった。

 子猫は、納品口の小麦粉袋の陰にいた。

 白い粉を鼻につけ、パン生地のように丸まっている。厨房へは入れられないので、休憩室の箱で一晩保護し、そのまま颯が連れ帰った。

 拾った時刻から「五時」と名づけた。実際には四時五十分だったが、名前にするには細かすぎた。

 五時は目覚ましを信用しない。

 鳴る前に颯の胸へ乗り、鼻先へ髭を押しつける。起きなければ前足で頬を叩き、それでも駄目なら耳元で短く鳴く。

「あと五分」

 名前を呼んでいるのか頼んでいるのか、自分でも分からない。

 五時は容赦なく、掛け布団の隙間へ冷たい鼻を入れた。

 おかげで遅刻はなくなったが、休日も同じだった。

 日曜の朝、颯が布団にしがみつくと、五時は台所と枕元を何度も往復した。

「今日はパンを焼かなくていいんだよ」

 猫は空の餌皿の前へ座る。

 颯はようやく、自分も前夜から何も食べていないことに気づいた。

 冷凍していた食パンを焼き、バターを一片のせる。五時にはいつもの餌。トースターから焦げた小麦の匂いが立ち、薄暗い部屋に朝が届いた。

 仕事では何百個もパンを焼くのに、自分のために一枚焼くことは、ずいぶん久しぶりだった。

 五時は食べ終えると、窓辺へ移った。

 空が群青から薄い桃色へ変わる。颯はマグカップを両手で包み、猫と一緒に明るくなる街を見た。

「毎日こんな色だったんだな」

 五時は窓硝子へ鼻をつけ、丸い跡を残した。

 それから颯は、出勤前に必ず一口でも食べるようになった。

 余ったパンではなく、自分が食べたいものを選ぶ。チーズの日、蜂蜜の日、卵を挟む日。五時は人間の皿には手を出さず、匂いだけを確かめた。

 ある休日、目覚ましを全部切って眠った。五時はいつもの時刻に起こしに来たが、颯が「今日は一緒に寝よう」と布団を持ち上げると、少し迷ってから潜り込んだ。

 次に目を開けたのは七時だった。

 枕元には猫の温かな息があり、部屋には昨夜焼いた小麦と、朝の冷たい空気の匂いが残っていた。