仲間の名を返す壁

パルメには、朝が来るたび仲間の名前が一つ消える呪いがかかっていた。

顔も声も思い出せる。剣を振る癖も、甘い物が嫌いなことも。なのに名前だけが抜け落ちる。昨日は弓手、今日は神官。明朝には、十二年共に旅した相棒の名が消える番だった。

宿《白墨屋》を訪れた彼は、宿主キュリスへ短く告げた。

「眠らなければいい」

「もう四日、眠っていませんね」

「名前を失うよりましだ」

キュリスが売ったのは、二階の《記名壁》で眠る一泊だった。

小さな部屋の壁一面が黒板になっている。枕元には白墨が一本。

「忘れたくない名前を、一つだけ書いてください」

「一つでいいのか」

「悩みも商品も、一つずつのほうが、壁は間違えません」

パルメは震える指で「ソルド」と書いた。たった四文字を書くのに、長い時間がかかった。

夜、呪いはいつもどおり夢へ来た。黒い手が記憶の棚から名札を抜き、暗闇へ持ち去る。パルメは追おうとしたが、四日分の疲労に足を取られた。

そのとき、壁を擦る音がした。

白墨の文字が一画ずつほどけ、光る粉になって枕へ降る。耳ではなく、舌の裏、胸の奥、剣を預けた右手へ、名前が書き戻されていく。

呪いの黒い手は最後に壁まで伸びた。だが白墨の粉は剥がされるたび増え、四文字を百の光点に分けた。ひとつの名札なら奪えても、身体中へ散った名前までは持ち去れなかった。

朝。

目を開けたパルメは、何も見ずに言った。

「ソルド」

もう一度。

「ソルド。俺の相棒だ」

壁の文字は消えていた。けれど名前は彼の中に残り、関連する記憶まで鮮やかだった。初めて組んだ日の雨、喧嘩した橋、背中を預けた回数。名を呼べるだけで、それらすべてが再び一人の人間へ結び直された。

パルメは銀貨一枚を置き、さらに呪いが解けるまでの十泊分を積んだ。

「毎晩、一人ずつ取り戻す」

「壁は待っています」

「いや。待っているのは、俺のほうだ」

彼は相棒の名を口ずさみながら宿を出た。

キュリスが新しい白墨を枕元へ置いた瞬間、階下のベルが鳴り、黒板の壁に細い朝の線が走った。