保存期間は三年
露乃は、元恋人から届いたメッセージを全部消そうとしていた。
別れた後も、「話し合おう」「職場へ行く」「君のために言っている」が一晩に六十件来る。画面を見るたび胃が縮む。
労務担当の恭佳は、削除ではなく保存を勧めた。
「残しておくほうが苦しい」
「見るためじゃない。使う必要が出たときのため」
「大げさにしたくない」
「大げさかどうかは、後で選べる。消したら選べない」
露乃は人の悪意を確定させたくなかった。恭佳は、意図より記録を重く見る。二人は同じ相手を同じように憎んではいない。
それでも恭佳は、露乃のスマートフォンを勝手に触らなかった。手順を紙へ書き、横に置いた。
まず、日時と送信者が分かる形で画面を保存する。次に通話履歴を出力する。職場へ来ると書かれた箇所には印をつける。
露乃の指は何度も止まった。恭佳は「頑張って」と言わず、止まるたびに充電ケーブルを差し直し、ファイル名を読み上げた。
「八月六日、二十三時十四分」
露乃が入力する。
「次、二十三時十七分」
同じ作業を繰り返すうち、文章は言葉ではなく時刻の並びになった。
データは暗号化した保存先と、相談窓口へ持参するUSBの二か所へ入れた。恭佳は保存期間を三年に設定し、期限の日付を封筒に書いた。
「三年後まで、これに縛られるの?」
「三年間見る、じゃない。三年間、自分で捨てないと決めなくていい」
最後にブロック画面を開いた。
露乃はまだ迷った。返事をしないと怒らせる、と言う。恭佳は「怒らせてもいい」とは言わず、自分のスマートフォンで会社の警備室の番号を表示した。
「明日の受付には共有しておく。帰りは正面から出ない」
それは励ましではなく、予定だった。
露乃がブロックを押し、恭佳が同時に紙の手順へ線を引いた。
通知欄が静かになる。
二人は保存したUSBを封筒へ入れ、のりが乾くまで指で押さえた。
恭佳は帰り際、露乃の鞄を持った。露乃は自分のコートを着て、もう一方の手で封筒を持った。
裏口へ向かう廊下を、二人は会話せず歩いた。