傷のない警棒

監察聴取は、現職警官を一人差し出せば終わるはずだった。

二十年前、駅裏でホームレス男性が撲殺された未解決事件。再鑑定で警察用警棒の塗料が検出され、当時新人だった巡査部長・浅羽根司が容疑者として呼ばれた。監察官の戸隠佳澄は、机越しに彼の警棒を見た。

「あなたは現場へ行った」

「行きました。先輩三人と」

「報告書には単独臨場とある」

「書き直せと言われたんです」

浅羽根の警棒には、二十年間使った細かな傷がある。だが塗料片の成分は、彼の警棒と一致しなかった。製造年も一年前ずれている。それでも本部は、浅羽根が部品交換した可能性を理由に懲戒免職と書類送検を急いでいた。

「認めれば、退職金の一部は残すと言われました」

「誰に」

浅羽根は取調室の鏡を見た。向こう側に人影がある。

「今の監察部長です。当時、班長でした」

佳澄は旧装備台帳の写しを開いた。事件翌日、三本の警棒が「訓練中破損」で一括廃棄されている。使用者欄は黒塗り。ところが裏面のカーボン複写には、浅羽根以外の三人の印影が薄く残っていた。

「あなたの警棒は廃棄されていない」

「だから俺だけ残った。今になって、残っている俺の番号を犯人にすれば、事件を閉じられる」

鏡の向こうから内線が鳴った。上司は「本人が自認する方向でまとめろ」と告げた。浅羽根が罪を被れば、未解決事件は解決実績になり、現職幹部三人の過去は守られる。拒めば、佳澄の監察班ごと捜査情報漏洩の責任を問われる。

浅羽根は供述調書へ手を伸ばした。

「家族には、事故だったと言ってください」

佳澄は調書を引いた。

「あなたを守るためではありません。死んだ人を、二度目の嘘で殴らせないためです」

彼女は黒塗り台帳を透過撮影し、三つの印影を復元した。聴取結論欄の「自認」を削除し、「組織的証拠廃棄の疑い」と入力する。

鏡の向こうで椅子が倒れた。

佳澄は浅羽根の傷だらけの警棒を机の中央へ置き、証拠番号を付けた。傷がないからではなく、二十年間そこにあったことを証明するために。