六十日の翌日
半導体検査装置の部品代支払会議で、津和野拓海は精密加工会社の経理三年目として、請求書の束を抱えていた。納品額は一億一千万円。契約上の支払期限は検収後六十日だが、元請けの柴代財務部長は百二十日へ延長する覚書への押印を求めた。
「資金繰りではない。業界標準に合わせるだけだ」
覚書の日付は四月一日。適用対象には、三月に検収済みの部品まで含まれている。拓海の会社は既に材料費と外注費を払い、今月末の借入返済を待っていた。
柴代は、四月一日に口頭合意が成立していたと説明し、拓海会社の受領印がある覚書を示した。
拓海は印影の下を拡大した。受領印の横に、電子文書管理番号「250521-1846」。覚書がシステムへ登録された五月二十一日午後六時四十六分を表している。
「四月一日の書類が、五月二十一日に初めて生まれています」
柴代は紙の作成日と登録日は別だと言った。
拓海は契約管理サーバーの変更履歴も出した。元の覚書ファイルは五月二十一日午後六時四十二分に作成され、四分後に印影画像が貼られている。その印影は、前年の住所変更届から切り抜かれたものだった。外周の欠けだけでなく、横に付いた青いボールペンの点まで一致した。
さらに下請け側の同意署名欄には、四月末で退職した前社長の名がある。五月二十一日に本人が署名することはできない。
柴代は、六十日の差で取引を壊すのかと問い詰めた。
「次の案件は三億だぞ」
拓海は支払予定表を机へ置いた。六十日の翌日に銀行返済があり、延長されれば資金が途切れる。
「御社には六十日でも、うちには翌日があります」
拓海は百二十日へ延ばした場合の利息負担も算出した。短期借入の追加利息は二百七十万円。その一方、元請けの内部資料には「下請け支払延長による四半期キャッシュ改善」と同額が利益として記載されていた。業界標準ではなく、下請けの借金を元請けの成果へ変える計画だった。
元請け役員が覚書から承認印を離した。百二十日へ伸ばされるはずだった支払は、六十日の境目で止まった。