剃らない土曜日

宇治原比奈乃は、半袖を着る前夜に腕を剃る。

毛が濃いわけではない、と自分でも思う。それでも明るい場所で腕を見ると、一本一本が黒い線に見えた。高校の体育で、隣の子に「意外と生えてるね」と言われた一度きりの言葉を、比奈乃は十年近く使い続けていた。

夏服の袖丈は、色や値段より先に確認した。海へ誘われれば日焼けを理由に断り、腕が写った写真は拡大して毛の影を消した。言った本人の顔はもう思い出せないのに、言葉だけが剃刀の持ち手に残っていた。

剃刀を滑らせ、翌朝もう一度確認し、残っている気がすれば逆向きにも当てる。肌が赤くなった日は、毛ではなく傷を隠すために長袖を着た。

土曜日、月に一度の陶芸教室へ行く朝。薄い青のシャツは、袖をまくらないと粘土で汚れる。比奈乃は洗面所で泡をつけ、前腕に刃を当てた。

手元が滑り、肘の近くに細い血が滲んだ。水で流すと、昨夜剃った場所までひりつく。鏡の横には、仕上げ用に買った脱毛シートが一箱あった。

教室の開始まで二十五分。貼って剥がせば間に合う。少し赤くなっても、粘土の汚れだと思われるかもしれない。

比奈乃は箱を開け、一枚取り出した。蜂蜜のような匂いがした。透明なシート越しに、自分の腕の毛が見える。

その下には、昨日の刃でできた小さな傷がいくつも並んでいた。

比奈乃はシートを貼らず、元の袋へ戻した。切った場所にだけ絆創膏を貼り、シャツの袖を肘までまくる。毛は消えず、光の角度で見えたり見えなかったりした。

玄関で一度だけ袖を下ろしかけたが、教室ではどうせまくる。比奈乃は布を戻さず、腕時計も傷を隠す位置へずらさなかった。

陶芸教室では、冷たい粘土を両手で押した。土は爪の間へ入り、前腕にも灰色の筋がつく。向かいの席の人は、自分の歪んだ器を直すのに忙しい。先生はろくろの回転数だけを注意した。

比奈乃の器は、口が少し傾いた。作り直すほどではないと言われ、棚の端へ置く。腕の毛については、最後まで誰も何も言わなかった。

帰宅してシャワーを浴びると、粘土の筋だけが流れた。毛は残り、傷は昨日より増えなかった。

脱毛シートの箱は、次の土曜日まで開けないことにした。