削除した本音

恋人へのメッセージを書いては消す癖があった。

「本当は、毎週会うのが疲れる」

削除。

「本当は、転職を応援できない」

削除。

「本当は、もっと頼ってほしい」

また削除。

ある夜、「本当は」で始まる文を三つ消した瞬間、画面の暗がりから自分と同じ顔の女が現れた。

削除した本音が三つたまると、もう一人の自分が恋人へ会いに行き、本人に代わって全部伝える。

止める間もなく、代役は部屋を出た。

本物は後を追い、喫茶店の離れた席から見守った。

もう一人の自分は、ためらわず言った。

「毎週会うのは疲れます」

恋人の顔が曇る。

「転職も、正直応援できません」

「じゃあ、別れたい?」

「違います。もっと頼ってほしい。でも頼られると重いとも思います」

矛盾した本音を、代役は整えず並べた。

恋人は怒った。

「そんなこと、今まで一度も言わなかった」

「嫌われたくなかったので」

代役は正しい。

しかし声に震えがない。

相手を傷つける怖さも、自分が傷つく怖さも持っていないように見えた。

「本人はどこ?」

恋人が突然尋ねた。

本物は息を止めた。

「あなたは同じ顔だけど、話が上手すぎる。あの人なら、ここまで言うのに三回謝る」

代役は黙った。

本物は席を立った。

恋人の前へ行くと、もう一人の自分が消えた。

「ごめん」

予想どおり、最初に謝った。

恋人はため息をつく。

「何に?」

「黙ってたこと。代わりに言わせたこと。あと、応援できないこと」

「最後は謝らなくていい」

二人は転職の話を最初からした。

恋人は今の職場を辞め、収入が減る可能性がある。

本物は不安だった。

それでも応援できない、で会話を終わらせず、何が怖いかを話した。

毎週会う予定も減らした。

会いたい週と、一人でいたい週を先に伝える。

頼るときは、ただ聞いてほしいのか、助けが必要なのかを確認する。

削除した本音は戻らない。

スマートフォンには送信されなかった空白だけが残った。

それからは「本当は」と書いたら、すぐ消さず、相手へ送れる文になるまで残す。

三つたまる前に、声で言う。

代役のように勇敢ではない。

謝りすぎ、言葉を選びすぎ、途中で泣く。

けれど恋人が向き合いたいのは、正しい本音ではなく、それを怖がりながら差し出す本人だった。