匂いを確かめない
ガス会社の緊急受付で、蛯名小夜は「卵の腐ったような匂いがする」という電話を受けた。
男性は新築の集合住宅に住み、台所の下を開けて原因を確かめようとしていた。換気扇も回したという。
小夜は点検の質問を止めた。
「スイッチには触らず、火を使わず、外へ出てください。電話はそのままで構いません」
男性は「元の遮断弁を閉めたほうがいいのでは」と尋ねた。だが弁は匂いの強い台所の奥にある。近づかせるより、退避が先だった。電気の入切も着火源になり得るため、換気扇を止める操作さえさせなかった。
男性が廊下へ出ると、匂いは弱くなった。小夜は同じ階の住人にインターホンではなく声かけで退避を促すよう管理人へ連絡し、緊急出動を最優先で手配した。
住所を確認する途中、男性が部屋番号を言い間違えた。契約画面は五〇三号室、本人は五〇二号室だと言う。小夜は配送先として登録された旧番号に引かれず、玄関扉の表示を安全な場所から確認してもらった。五〇二だった。登録を直さずに隊員を向かわせれば、隣室の呼び鈴を鳴らし、時間を失う。
小夜は、退避した住人の人数を管理人と照合した。部屋番号の訂正だけで安心せず、乳児のいる隣室と、夜勤で不在の部屋を分けて記録した。全戸を無差別に呼び出せば電気設備を操作させる可能性があるため、現場の作業員が安全な方法で確認できるよう情報を渡した。
到着した作業員は、施工時に接続部が締め切られていなかったと報告した。室内の濃度は上がり始めていたが、全員無事だった。
男性は最後に言った。
「匂いの場所を詳しく説明したほうが親切だと思っていました」
「確かめないことが、いちばん助かる説明になる場合があります」
誤った部屋番号は契約情報にも訂正され、次の出動先に残さなかった。
小夜が記録を保存すると、別の回線が赤く点滅した。
「給湯器の近くで変な音がします。でも匂いはありません」
小夜は安心と言わず、火を使っているかから尋ねた。