十二枚のエプロン

午前二時、製パン工場のフックに白いエプロンが十二枚並んだ。

八十島志帆里は最後の生地を冷蔵庫へ入れ、発酵時刻を書いた札を付けた。翌朝の納品分までは品質を崩さない。そこまでが、職人としての区切りだった。

鷹見健吾社長は事務所から出てきて、並んだエプロンを見た。

「葬式ごっこか」

志帆里は退職届を差し出した。ほかの職人も続く。十二人は発酵中の生地を廃棄せず、翌朝分の工程表とアレルギー表示を所定の棚へ残した。会社の商品を壊す気はない。ただ、自分たちの身体まで材料にされる日を終わらせるだけだった。

鷹見は、高級ホテル向けの難しい製法を現場の腕で支えながら、夜勤手当を「パン好きへのご褒美」と言って払わず、倒れた職人を即日欠勤扱いにした。機械さえあれば誰でも焼けると信じ、熟練者の人数を半年で半分にしていた。

「明日の朝、新人を十二人入れる。レシピは会社のものだ」

「どうぞ。ただ、そのレシピでは焼けません」

志帆里が指したのは、温度と湿度の記録だった。同じ配合でも、季節と粉の状態で水分を変える。その判断はマニュアルではなく、十二人の手に残っていた。

午前五時、最大取引先であるホテルチェーンの購買責任者が工場へ来た。試験焼きのパンを一口食べ、鷹見へ契約終了通知を渡す。

「来月からは、八十島さんたちの新工房へ発注します」

鷹見は机を叩いた。

「設備も実績もない連中だぞ」

「設備は当社がリースします。実績は、今まで御社名義になっていただけです」

そこへ労働基準監督署が臨検に入り、二重に作られた勤怠表を押収した。表向きは八時間、工場の入退館記録は十四時間。辞めた職人を含む賃金請求も、すでにまとめて提出されている。

鷹見は銀行へ資金繰りを頼んだが、ホテル契約を担保にした融資は即時見直しとなった。電気代の引き落としすら危うい。

オーブンのタイマーが鳴った。志帆里は最後のパンを取り出し、出来を確かめてから電源を切った。

購買責任者が新工房への年間発注書に署名する。

十二枚のエプロンが新しい住所へ運ばれた瞬間、鷹見の工場には、膨らむ借金だけが残った。