午後四時の留守番電話
喫茶店の電話は、午後四時になると一度だけ鳴る。
店主の絹代は、三回目の呼び出し音で受話器を取る。相手は八十を越えた兄の征爾だ。
「今日も客はいるか」
「あなたよりはいるよ」
会話はいつも一分ほどで終わる。兄は隣県の施設に暮らし、外出が難しい。昔はこの店の共同経営者で、豆を焙煎するのは兄の役目だった。
その日、四時になっても電話は鳴らなかった。
絹代はカウンターの時計を見た。四時五分、十分。客は大学生が一人、レポートを書いているだけだ。カップを磨き、砂糖壺を満たし、意味もなく入口のガラスを拭いた。
四時二十分、こちらから電話をかけた。呼び出し音のあと、機械の声が留守番電話へ切り替わる。
「もしもし。店は開いてるよ。今日は三人……いや、二人半くらい。プリンも出た。じゃあね」
嘘を二つついた。客は一人で、プリンはまだ出ていない。
受話器を置くと、大学生が手を挙げた。
「プリン、ありますか」
絹代は笑って、冷蔵庫から一つ取り出した。固めのプリンにカラメルをかけ、缶詰のさくらんぼを載せる。大学生は写真を撮らず、すぐにスプーンを入れた。
四時四十分、電話が鳴った。
「昼寝してた」と兄は言った。「年寄りは困るな」
「ほんとにね。さっき留守電に入れたよ」
「聞いた。プリンが出たって?」
絹代は大学生の空になった皿を見た。
「出たよ。きれいに食べてくれた」
電話を切ったあと、絹代は自分のためにもコーヒーを淹れた。兄の焙煎より少し浅い豆だった。酸味を舌に転がしていると、店の時計が五時を打つ。
静かな店内に、受話器の残した人肌の温度と、カラメルの焦げた甘い匂いが漂っていた。
大学生が帰り際、「来週もプリンありますか」と訊いた。絹代は「兄が寝坊しなければね」と答えた。意味の分からない学生は笑って頷く。明日の四時にも電話は鳴るだろう。鳴らなければ、こちらからかければいい。その単純なことが、熱いカップほど頼もしかった。