却下印は剣より重い

「苦情は一件ずつ伺います」

傭兵ギルド《鉄靴亭》の受付係マドリクは、怒鳴られても瞬きをしない。

報酬が安い、寝床が硬い、食堂の豆が多すぎる。百戦錬磨の傭兵たちが机を叩いても、白髪の老人は眼鏡を直し、苦情票を一枚ずつ綴じるだけだった。腰に武器はなく、右手にはいつも赤い却下印がある。

茶売り娘のフィネは、窓口脇で湯を沸かしながら、その印が岩より重そうだと密かに思っていた。

昼の鐘が鳴るころ、扉を蹴破って巨漢が入った。

S級傭兵団《赤獅子》の団長ゴラド。依頼失敗で没収された保証金を返せと叫び、列の者をまとめて突き飛ばす。

「俺の剣が、このギルドの規則より軽いと思うか!」

背負った大剣が抜かれた。

刃にまとった闘気だけで壁が裂け、広間の全員が目を閉じる。フィネだけは湯沸かし台の陰から、マドリクの手元を見ていた。

老人は大剣の腹へ、却下印を一度押した。

ぽん。

轟音はそれだけだった。

大剣は根元から砂になり、巨漢の闘気は赤い紙片へ変わって床へ散る。ゴラドの身体は見えない何かに頭を押さえられたように膝をつき、その額へ大きな《却下》の二文字が浮かんだ。

「創設規則第三条。ギルド内の暴力は、実力差にかかわらず認めない」

マドリクが告げると、受付台の裏で古い鉄板が光る。

そこには傭兵王国を終わらせ、雇われ剣に初めて契約と報酬を与えた男の名があった。

《鉄靴亭創設者・無敗のマドリク》

彼はゴラドの襟をつまみ、紙屑でも捨てるように裏口の外へ置いた。裂けた壁へ苦情票を一枚貼ると亀裂は消え、砂になった大剣は屑籠へ収まった。

皆が目を開けたとき、団長は酔って転び、衛兵に連れ出されたことになっていた。壁の亀裂も机の傷もなく、列の番号さえ一つも乱れていない。

フィネの沸かした湯だけが、一滴もこぼれていない。

マドリクは彼女へ口止め料の銅貨を一枚滑らせる。

「茶代だ」

その額はいつもの一杯分だった。

すぐに別の傭兵が「豆の量が昨日より多い」と机へ苦情票を置く。

老人は赤い印を構え、平然と言った。

「苦情は一件ずつ伺います」