合鍵とじゃがいも

史帆が空になりかけた部屋へ戻ると、テーブルに合鍵が置かれていた。銀色の輪の下に、彼の字で「ありがとう」とだけ書いた付箋がある。冷蔵庫には、蓋をした鍋が一つ残っていた。

彼が荷物を運び出したのは昼間だった。史帆は仕事を休めず、顔を合わせなかった。別れを言い出したのは史帆で、この部屋には自分が残ると強く言った。駅に近く、日当たりもよく、家賃は二人で払う前提なら手頃だった。

一人分の給与明細で計算し直すと、手頃ではなかった。来月から貯金を崩す。三か月後には更新料もある。それでも彼に「やっぱり無理」と知られるのが嫌で、誰にも言えなかった。別れたことより、一人でやれると言った自分の言葉が崩れるほうが怖かった。

鍋のカレーを温めると、カルダモンの香りが部屋へ戻った。家具の跡だけが床に四角く残っている。史帆は一人分をよそい、合鍵を皿の横へ置いた。金属は指に冷たかった。

彼のカレーには、じゃがいもが大きく入っている。史帆は喉につかえるのが苦手で、最後の一個になると、彼がスプーンの背でつぶしてくれた。子ども扱いしないで、と言いながら、毎回そのまま食べていた。

皿の半分を終えると、最後のじゃがいもが現れた。丸みを保ったまま、ソースの中に座っている。史帆はしばらく眺めた。頼める相手はいない。戻ってきてほしいわけでもない。ただ、家賃の数字と同じように、その一個が越えられないものに見えた。

スプーンの背を押し当てる。じゃがいもは抵抗せず、二つに割れ、さらに細かく崩れた。ソースと混ぜて食べると、彼がつぶした形と何も変わらなかった。それが、寂しくて、少し安心した。

史帆は皿を空にし、合鍵を付箋ごと封筒へ入れた。それから管理会社の解約フォームを開く。ここを出ることは、彼のところへ戻ることではない。別の部屋で一人になるだけだ。

送信する前に、鍋へ残った一杯分を保存容器へ移した。引っ越しの日の朝、自分で食べるために。