同じ顔の家賃
鏑木絃は毎朝、マンションの玄関で軽く笑う。無表情だと本人確認が遅れるからだ。緑の灯りがつけば扉が開き、十二階の部屋までエレベーターが自動で運んでくれる。
月末の朝、扉は開かなかった。
《居住者ではありません》
管理室へ行くと、家賃はすでに払われていた。午前零時一分、絃本人の顔で決済されている。
このマンションの規則は一つ。月の家賃を最初に本人確認付きで支払った者を、その月の正規居住者とする。合成した大家が勝手に追い出す事件を防ぐため、支払った本人の権利が最優先になる。
「口座は俺のだ。顔だけ盗まれた」
管理人は肩をすくめた。
「顔が本人なら、支払ったのも本人です」
絃は非常階段から十二階まで上がった。部屋の前には宅配箱が積まれ、室内から音楽が聞こえる。玄関カメラに映ると警報が鳴った。
ドアが少し開き、自分の顔がのぞいた。
「何か?」
声も同じだった。ただ、髪は整い、頬は少し細く、絃より家賃をきちんと払いそうに見えた。
足元から猫のコロが出てきた。絃が呼ぶと、コロは駆け寄りかけて止まった。偽物も同じ呼び方をしたからだ。二人の間で迷い、最後には匂いを嗅いで絃の靴へ頭をこすりつけた。
「ほら、猫は分かる」
管理人の端末がコロを読み取る。
《動物による認証は無効です》
偽物はコロを抱き上げた。嫌がって爪を立てても、表情一つ変えない。
「この猫も契約設備に含まれています」
絃はドアへ手をかけた。廊下の拘束装置が作動し、両足を床へ固定する。
端末に一件の決済通知が届いた。
《正規居住者から迷惑行為清掃費を受領しました》
支払元は絃の口座だった。偽物が絃の金で家賃を払い、絃の金で絃を追い出している。
ドアが閉まる直前、コロだけが鳴いた。室内の本人は、猫の鳴き方までは学習していないようだった。
翌朝、室内の男は絃と同じ笑顔で玄関を通った。コロの引っかき傷だけが頬に再現されていなかったが、管理人は見なかった。傷のない方が、住民らしく清潔だった。