呼び捨て代行
人の名を呼ぶと、呼んだ側の寿命が減る。名だけなら一時間、姓名なら一日。結婚式や授賞式でどうしても名前が必要な人は、呼名代行を雇う。
倉橋泰河は二十七歳で代行歴五年だった。黒い幕の裏から新郎新婦を呼び、病室で疎遠な家族を呼び、表彰台の下で受賞者を呼ぶ。料金は一時間八千円、一日九万円。手取りはその半分だった。
勤務表には名前でなく、失う予定の時間が並ぶ。月曜三時間、火曜二日、水曜休み。給料日には現金と一緒に、減った寿命を証明する薄い灰色の切符が渡された。
誰かの名を毎日口にするのに、泰河自身は四年、名前で呼ばれていない。自宅の音声端末さえ「二一号、お帰りなさい」と言うよう設定していた。玄関の表札も空白で、郵便受けには番号のシールだけが貼ってあった。会社では二一号、顧客からは代行さん。母は亡くなり、妹とは喧嘩したままだった。
六月の依頼書に、見覚えのある住所があった。式場、白鷺館。依頼内容は「亡父の姓名を一度、献花時に」。対象名は倉橋冬嶺。依頼者は妹の倉橋沙弓だった。
担当変更もできたが、泰河は幕の裏へ立った。司会が献花を促し、妹が白い花を持って進む。彼女は父の名を自分で呼べず、唇を噛んでいた。
泰河はマイクを握った。
「倉橋冬嶺」
胸の寿命計から一日が消えた。妹の肩が揺れた。声で兄だと分かったらしい。
式後、控室の廊下で沙弓が待っていた。
「どうして来たの」
「依頼だったから」
「兄さん、と呼べば減らない?」
「続柄は減らない。本人がそう思っていれば」
沙弓はしばらく黙り、わざわざ姓名を選んだ。
「倉橋泰河」
彼女の寿命計から一日が落ちる音がした。泰河も、妹の名を一度だけ呼んだ。こちらは一時間だった。
会社へ戻ると、請求書を作った。亡父一日、妹一時間。家族割引の欄に三本線を引き、請求額をゼロにした。
封筒の中には、式で使われた銀色の呼名ベルが入っていた。舌の部分に白い砂糖菓子の花が挟まり、振っても音は鳴らなかった。ベルの台座には、父、兄、妹の三つの名前が、声ではなく鉛筆で薄く書かれていた。