四十七秒だけ残す
久須美依舟は、父の古い端末を充電した。
音声メモには百八十三件あった。父は文字を打つのを嫌い、買い物の指示も、門限への説教も、依舟の転職への反対も声で残した。亡くなったあと、母は「全部、形見だから保存して」と言った。
端末の容量はほとんど音声で埋まり、写真を開くたび警告が出た。母は新しい保存用端末まで買おうとした。依舟が「聞かないものを移しても同じ」と言うと、母は「いつか聞きたくなる」と未来の依舟を説得役にした。
依舟は一覧の再生時間を足しかけてやめた。父に命じられる時間を、死後まで合計する必要はなかった。
削除前に母へ全件の一覧だけ送った。中身ではなく番号を共有すれば、母の選択まで依舟が代わりに決めずに済む。保存係を降りても、母が残す権利を奪うわけではなかった。
依舟は一件目を再生した。
『依舟、お前はまた――』
七秒で止めた。死者の声でも、傷つく順番は変わらない。
母へ電話すると、「声を消したら二度と聞けない」と責められた。
「聞きたい声だけ残す」
「親の言葉を選別するの?」
「生きていたときも、全部に従う必要はなかった」
依舟は一覧を下へ送った。最後の月に録られた四十七秒の音声がある。父が病院から帰る途中、間違えて録音したらしい。車のウインカー、ラジオの天気予報、父の咳。そして最後に、小さく笑う声。依舟へ向けた言葉は一つもない。
それだけを自分の端末へ移した。
残りを削除しようとすると、確認画面が出た。母が欲しいなら、母の端末へ移す方法もある。依舟はそう伝え、明日の正午までに選んでほしいと期限を決めた。
母は長く黙ったあと、「私は三件だけ欲しい」と答えた。
二人は番号だけを確認した。内容について、どちらが正しい記憶か争わなかった。
転送を終え、依舟は百七十九件を削除した。古い端末の一覧は空になった。
四十七秒の音声をもう一度再生する。父の笑い声のあとに、何も続かない。その余白が、依舟には初めて安心して聞ける父の声だった。