坂道でブレーキを放す

同棲を解消し、一人で暮らす部屋の契約を済ませた帰り、私はレンタサイクルで故郷の坂道へ向かった。高校時代、毎朝自転車で下った長い坂だ。頂上でブレーキを握ると、指の関節が白くなった。

一年生の春、私はここで転んだ。速さが怖くて前後のブレーキを握り続け、車輪が滑ったのだ。膝を擦りむき、制服の袖を破いた。後ろを走っていた冴子が自転車を放り出し、私の横へしゃがんだ。

「怖いからって止め続けると、余計に転ぶよ」

泣いている私へ、彼女は自分の鈴の壊れた自転車を押しつけた。次の日から、冴子は坂の途中で待ち、少しずつブレーキを放す練習に付き合った。最後の日、風を切って下りた私より、後ろの彼女の歓声の方が大きかった。

その記憶を私は、長いあいだ忘れていた。恋人と暮らし始めてから、食器も休日も将来も、相手に合わせて決めた。関係が壊れそうになるたび、自分の希望を強く握り潰した。止めていれば転ばないと思っていた。

けれど結局、私たちは別れた。新しい部屋の鍵は軽く、頼りない。嬉しいより怖い。

坂の下を見る。道路は整備され、自転車用の青い矢印が描かれている。私は冴子から教わった通り、両足をペダルへ置いた。最初はゆっくり。ブレーキを完全には離さず、握りっぱなしにもしない。

風が頬を押す。途中で怖くなったが、止まらなかった。ハンドルは細かく震え、それでも車体は前へ進む。

坂を下り切ったところで、私は笑っていた。十七歳の成功を再現できたからではない。怖さが消えなくても、力を緩める加減を今の自分が覚えていたからだ。

新居へ戻ったら、誰にも相談せず選んだ黄色いカーテンを取り付ける。似合わなければ替えればいい。転びそうなら速度を落とせばいい。

レンタサイクルのベルを鳴らすと、昔の冴子の自転車とは違う澄んだ音がした。同じ下り方を再現しなくても、今の道具で進めばいい。

私は一度だけ後ろを見て、頂上の小ささを確かめた。それから前を向き、まだ家具のない部屋へ続く道を漕ぎ出した。