売り切れのクリームパン

 鶴ヶ谷斐名は、駅前のパン屋で午後を担当している。

 毎週水曜、制服姿の少女が閉店十分前に来て、クリームパンを一つ買った。

 母親が夜勤の日だけ、自分と弟の夕食を買いに来るらしい。

 ある水曜、クリームパンは夕方に売り切れた。

 少女が来る時刻を思い出し、斐名は残っていた生地で一個だけ追加した。

 形が少し不揃いになったので、売場へ出さず奥へ置いた。

「今日、ありますか」

 少女が駆け込んできた。

「売り切れたけど、失敗作が一個」

「失敗?」

「クリームが多すぎる」

「それは成功では」

 少女はいつもの代金を置いた。

 次の水曜も、斐名は一個多く焼いた。

「また失敗しました」

「毎週、同じ失敗ですね」

「学習能力がなくて」

 少女は笑い、紙袋を両手で持った。

 温かなパンから、卵とバニラの香りが上がった。

 一か月ほどして、少女は閉店前ではなく昼に来た。

 売場にはクリームパンがいくつも並んでいる。

 彼女は一つ選び、奥の棚を見た。

「失敗作、今日はないんですか」

「まだ失敗していない」

「私のために取ってたんでしょう」

 斐名はトングを持ったまま固まった。

「弟が、毎週形が同じだって」

「失敗にも型があります」

「店長さんに秘密?」

「店長も知ってる」

「じゃあ、私だけ知らないふり?」

 少女は少し困った顔で笑った。

 斐名は謝ろうとした。

 けれど少女は鞄から小さな保温瓶を出した。

「これ、母が作ったコーンスープ。失敗作です」

「どこが?」

「粒が多すぎる」

 瓶の蓋を開けると、甘い湯気が立った。

 二人で店の裏口へ座り、パンとスープを半分ずつ食べた。

 クリームの甘さのあとに、コーンと胡椒の温かさが来る。

「来週も失敗しますか」

 少女が訊く。

「必要なら」

「一個だけ」

「弟の分は?」

「半分こするのが決まりだから」

 それから水曜の一個は、〈形見本〉という札をつけて奥へ置いた。

 店長も何も言わない。

 少女は毎週、売り切れたかどうかを訊き、斐名は毎週、失敗したと答える。

 紙袋から漂うバニラの香りは、隠し事の匂いではなかった。

 帰りの遅い母を待つ姉弟と、閉店まで働く斐名が、一週間を少し温かく終えるために共有した、小さな焼きたての秘密だった。