帰り道専門店

商店街の突き当たりに、「帰り道専門」と書かれた小さな旅行店があった。

壁には地図がなく、使い古した靴だけが並んでいる。

二十年前、父と喧嘩して町を出た女性は、

「実家へ帰る道をください」

と頼んだ。

店主は尋ねた。

「出ていくとき、何と約束しましたか」

「二度と帰らない」

「それが代金です。手放せば、一晩だけ道が現れます」

女性がその言葉を書いた紙を渡すと、店主は火もないのに燃やした。

店の裏口を開ける。

そこには、見知らぬ夜道が一本伸びていた。

歩くたび、昔の町の匂いが戻った。

パン工場の甘い湯気。

川沿いの湿った風。

父の木工所から聞こえた鋸の音。

実家はすでに売られ、更地になっていると知っていた。

それでも道は終わらず、町外れの古い倉庫へ続いた。

中で父が、一人で椅子を直していた。

年を取り、耳も遠くなっている。

女性を見ると、驚いたあと、

「帰ってくるなと言ったはずだ」

と言った。

「私が、二度と帰らないって言った」

「同じことだ」

二十年前、女性は家具職人になりたかった。

父は「女には続かない」と反対した。

女性は都会で別の仕事に就き、父が正しかったような人生を送った。

そのことが悔しくて、電話一本かけられなかった。

「今さら弟子にしてとは言わない」

女性が言うと、父は椅子の脚を削りながら答えた。

「今さら断る体力もない」

謝罪も抱擁もなかった。

父は余った木片を渡し、女性へ紙やすりを持たせた。

二人で一晩、古い椅子を磨いた。

話したのは刃物の角度や、木の乾き具合ばかりだった。

夜明けが近づくと、倉庫の扉の外に、元の商店街が見え始めた。

帰り道の期限が来たのだ。

「また来てもいい?」

女性が尋ねる。

父は、

「道くらい自分で覚えろ」

と答えた。

店へ戻ると、旅行店は消えていた。

手元には、父が鉛筆で描いた簡単な地図がある。

不思議な道ではない。

駅からバスに乗り、坂を上がり、古い倉庫を右へ曲がる、ごく普通の道だった。

翌月、女性は昼の電車で町へ戻った。

今度は迷い、バスを一本乗り過ごした。

それでも倉庫へ着いた。

「遅い」

父が言う。

「帰り道って、意外と時間がかかるの」

女性は答えた。

二度と帰らないという約束を失っても、失う物は何もなかった。

むしろ帰るたび、新しい道順が一つずつ増えた。