怒りは治療対象です

真壁小夜は、怒りの点数が高すぎて手術を受けられなかった。

化学工場の漏出事故で肺を傷めた住民には、公費治療が用意された。ただし、感情採点AIが〈治療協力度〉を審査する。医師への信頼、指示への服従、病気を受け入れる穏やかさ。小夜の怒りは九十四、協力度は二十七だった。

「怒りが強い方は、治療中断や医療者への攻撃の危険があります」

担当医は、感情調整薬を勧めた。二週間飲めば、再審査に通る可能性が高いという。

小夜は薬を飲んだ。

工場の謝罪会見を見ても胸がざわつかなくなった。咳き込む隣人から相談されても、「専門家に任せましょう」と言えた。訴訟のために集めていた排水記録は、机の上でただの紙になった。

再審査では怒り三十二、協力度八十一。手術日は決まった。

その帰り、事故で夫を亡くした老女が、小夜の袖をつかんだ。

「あなたまで黙ったら、誰が覚えてるの」

小夜は答えようとしたが、言葉の輪郭がなかった。怒りが消えると、怖さも悔しさも、何を守りたかったのかも薄くなっていた。

翌朝、薬をやめた。

三日後には、肺より先に胸が痛んだ。手術は延期され、医師には自傷的選択だと叱られた。それでも小夜は住民集会へ戻り、記録を読み、会社の説明の矛盾を一つずつ示した。

裁判は二年続いた。小夜の呼吸は悪化し、証言台では酸素吸入器が必要だった。仲間の中には疲れて和解する者もいたが、小夜は責めなかった。怒りは他人へ強制するものではなく、自分が持ち運ぶ火だと知った。

感情モニターには怒り九十八が表示された。

「冷静な証言とは言えませんね」

会社側の弁護士が言った。

「冷静でなくても、排水の日付は変わりません」

判決で事故との因果関係が認められ、治療費は感情審査なしで支払われることになった。

手術室へ向かう朝、小夜の怒りはまだ九十一だった。看護師が「不安ですか」と聞くと、彼女は首を振った。

「怒っています。生きて、まだ怒るために治してください」

AIはそれを治療意欲と判定できず、警告音を鳴らした。

医師は画面を伏せて、麻酔を始めた。