手彩色の口紅
鶴岡未紗は、琥珀堂写真館へ祖母の肖像を持ち込んだ。白黒写真の頬と唇だけに色をのせた、手彩色の一枚だった。
家族は、来月の米寿祝いで複製を配りたいと言っている。けれど赤い顔料が少し剥がれ、「派手だから、複製は白黒でいい」と決まりかけていた。未紗も反対しなかった。
彼女は化粧品会社でパッケージを担当している。翌朝、若年層向けの新商品案を提出する予定だった。最初に作ったのは深い赤を使う案だったが、会議で「強すぎる」「無難な色に」と言われ、昨夜、薄いベージュへ直した。誰にも嫌われない代わりに、誰の目にも止まらない箱になった。
店主は祖母の写真を水平な台へ置き、拡大鏡で唇を見た。綿棒へ薬液を一滴つけ、写真には触れず、別の紙で赤の定着を試す。次に、色見本帳のページを一枚ずつめくった。
似た赤は何色もあった。朱、臙脂、葡萄色。店主が選んだのは最も鮮やかな色ではなく、剥がれた部分の下に残る、少し青みのある赤だった。注文票の〈着色復元〉へその色番号を記し、〈白黒化〉の欄には斜線を引いた。未紗の同意を待って、ペン先を止める。
写真の祖母は、上品というより得意そうだった。唇だけが浮いて見えるのに、その不均衡を恥じていない。未紗は、祖母が普段どんな口紅をつけていたか知らない。写真の日だけ選んだ色かもしれない。それでも、選んだことまで無彩色にする必要はなかった。
「赤を残してください」
店主はうなずき、色番号を二重線で囲んだ。会計のあと、写真を包む薄紙にも同じ系統の赤を選ぶ。派手なリボンは使わず、紙の端を一度だけ折り、色が細く見えるようにした。
未紗は店の椅子でノートパソコンを開いた。提出フォルダには、ベージュ案が最終版として入っている。その名前を〈予備〉へ変え、削除しかけていた赤い案を戻した。
説明文も書き直す。
〈刺激が強い可能性があります〉ではなく、〈選ぶ人の意志が見える色です〉。
送信すると、赤い進捗バーが右端まで伸びた。
祖母の口紅が企画を保証してくれるわけではない。明日また退けられるかもしれない。それでも未紗は、自分で赤を消してから差し出すことだけはやめた。