拍手のずれた夜

王都巡業楽団で、支援魔術師ネフィラは一音も奏でなかった。

舞台袖に立ち、歌声と楽器へ小さな遅延魔法をかける。客席の広さに合わせ、遠い音と近い音を同じ瞬間に届かせるのが仕事だった。

楽団長バルドンは、新歌姫の初日を前に彼女を追放した。

「観客は歌を聴きに来る。音を遅らせるだけの裏方へ主役と同じ取り分は払えん」

満席の夜、第一曲が始まった。

歌姫が高音を伸ばし、管楽器が重なる。最前列では完璧だった。だが二階席には管楽器が遅れて届き、奥の壁で跳ね返った歌声がさらに重なった。

一つの旋律が三つに割れた。

指揮者は演奏が遅いと思い、棒を速める。奏者は客席の反響を聞いて遅れていると思い、さらに急ぐ。歌姫だけが正しい拍を守り、結果として全員が別々の曲を演奏した。

曲が終わる前に、客席から笑いが起きた。

拍手さえ前方と後方でずれ、波のようにばらばらだった。

歌姫は自分が音を外したと思い、幕の裏で泣いた。管楽器奏者は指揮者を責め、指揮者は反響板の角度を変えさせた。だが二曲目はさらに崩れ、払い戻しを求める客が受付へ列を作った。初日を飾る金文字の看板だけが、誰にも見上げられず残った。

音響係が舞台図を握りしめる。

「ネフィラ殿は演奏を直していたんじゃない。この劇場そのものを一つの耳にしていたんです」

同じ時刻、新設歌劇院では開場前の試演が終わっていた。

ネフィラが最後列へ座ると、指揮者オルシェが舞台から尋ねる。

「一音でも離れて聞こえた?」

「いいえ。全席、同じ夜です」

「では今後、開演の判断はあなたがする」

試演を聞いていた清掃員まで、最後列で歌詞を一語ずつ聞き取れた。オルシェは客席ごとの遅延図を金庫へしまわず、舞台中央へ貼り出した。「裏方の仕事ほど、全員が知るべきだ」と言って。

彼女の名は演者より先に、音響監督として公演札へ刻まれた。

翌朝、バルドンが楽屋口で待っていた。

「戻れば取り分を倍にする。昨日の失敗は指揮者の責任として処理する」

ネフィラは新しい劇場の鍵で扉を開けた。

「巡業楽団との出演支援契約は、追放を言い渡された日に終了しています」