旗に縫った心
折れた旗竿を、ヴァシェラは自分の槍に結び直した。
城壁には二十人しか残っていない。下では敵が梯子を立て、盾を鳴らしている。守兵たちの目には、戦う前から敗北が浮かんでいた。
この旗は、掲げた者の感情を一つ吸い取り、城内の全員へ分け与える。分けた感情は旗手の中から永久に消え、その感情が宿っていた心臓の一部は旗布へ変わる。
ヴァシェラは最初に恐怖を差し出した。
旗が風を孕む。彼女の胸から震えが消え、代わりに守兵たちは敵の多さを正しく恐れた。無謀に飛び出さず、狭い階段へ誘い込んで一列ずつ斬る。
次に怒りを差し出した。
赤い糸が旗面へ走り、疲れ切った兵たちの腕へ力が戻った。ヴァシェラ自身は、殺された仲間を見ても何も湧かなくなる。
梯子が三本掛かった。
彼女は悲しみを旗へ縫った。兵たちは死者の名を叫び、退かなくなった。だがヴァシェラには、足元で息絶えた夫コルトの顔が、片づけるべき荷物にしか見えない。
敵の隊長が胸壁へ上がり、降伏を勧めた。
「おまえたちは、もう何も守れない」
城内から子どもの泣き声がした。兵たちの足が止まる。恐怖も怒りも悲しみも、戦う力にはなる。けれど最後まで互いを庇わせる感情は、一つしかない。
ヴァシェラはコルトの指から婚礼の糸を外し、旗へ縫いつけた。
「愛を」
旗が大きく翻った。
守兵たちは盾を重ね、負傷者を背へ隠し、子どもたちのいる階段を一歩も譲らなかった。誰かが倒れるたび隣が穴を埋めた。敵の隊長は槍で押し返され、梯子ごと堀へ落ちる。
やがて外から退却の角笛が聞こえた。
生き残った者たちは泣きながら抱き合った。ヴァシェラは旗を下ろし、コルトのそばへ座った。
彼の頬に触れても、胸は静かなままだった。愛していたという記憶はある。だがそれは、他人の記録を読んだように平らだった。
最後の愛を吸われると、心臓に残っていた柔らかな部分まで旗布へ変わった。
胸の奥で、鼓動の代わりに布がはためく音がした。鎧の隙間から赤い糸が這い出し、首筋へ刺繍のような模様を作る。
子どもが彼女へ抱きついた。
「ありがとう」
ヴァシェラは正しい形に口角を上げた。
笑顔だけは覚えていた。笑う理由は、もう旗の上で風に揺れていた。