春を預ける封筒
奈良坂果歩が古いブレザーを処分しようとしたとき、肩の形が今の自分には窮屈で、ボタンを留めることもできなかった。それでも制服回収の袋へ入れる前に、ポケットを一つずつ確かめた。胸ポケットから茶色い封筒が出てきた。中には朝顔の種が五粒入っている。表に、園芸部の丸い字で「卒業生分」と書かれていた。
高校最後の部活動は、まだ何も咲いていない花壇を耕し、温室の育苗ポットへ種をまくことだった。
三月の土は固く、スコップを入れるたび小石が鳴った。花壇の縁には霜が残り、掘り返した土から湿った根の匂いが上がった。果歩の爪の間へ黒い土が入り、卒業式用に塗った薄桃色の爪がすぐに汚れた。卒業式の装花は別の業者が運び、園芸部の花壇には枯れた茎しか残っていなかった。三年生たちは、その土を温室へ運び、入学式にも間に合わない朝顔の種を小さな育苗ポットへ埋めた。
「私たち、一度も見られないのに」
果歩は軍手の泥を払いながら言った。最後なのだから、咲いている花の前で写真を撮りたかった。
顧問は返事をせず、花壇の端へ細い支柱を立てた。後輩が一本ずつ麻紐を結ぶ。風に揺れる紐の影だけが、土の上へ伸びた。
種を埋め終えると、三年生にも五粒ずつ配られた。果歩は家で育てるつもりだったが、受験、引っ越し、初めての一人暮らしに追われ、封筒ごと忘れた。
数年後、仕事で近くを通った日に母校へ寄った。花壇は駐輪場へ変わり、朝顔の支柱もなかった。あの種が咲いたか、誰も覚えていない。果歩は少しだけ安心した。咲いた証拠を探しに来た自分が、過去へ戻りたい人のようで嫌だったからだ。
今の部屋のベランダには、植木鉢が一つある。転職を決めたとき買ったものの、何を植えるか決められず、空のままだった。
果歩は封筒を開き、黒く乾いた種を掌へ出した。古すぎて芽が出ないかもしれない。それでも土へ五つの穴をつくり、一粒ずつ置いた。
最後の一粒に土をかけると、指先に冷たさが残った。春は、見届ける約束をしてから来るわけではない。
果歩はじょうろの水を注ぎ、空になった封筒を新しい会社の書類にはさんだ。
咲かなかったとしても、もう空の鉢ではなかった。