時間泥棒は眠らない
三反田詩央は、満員電車で一人から〇・二秒ずつ盗んだ。手首端末が触れ合う瞬間に残高を抜く。被害者は気づかない。一万人から集めても三十三分あまりだが、毎朝続ければ年月になる。詩央の隠し口座には四十八年が貯まっていた。
盗んだ時間には、不正追跡用の感覚印が残っていた。眠ると、それが夢になる。知らない子どもの発表会、病室の匂い、言えなかった謝罪、帰宅を待つ犬の足音。詩央は何万人もの一瞬を見た。最初は映画のようで面白かったが、やがて自分の夢がどれか分からなくなり、眠れなくなった。
ある朝、老女から三秒を抜いた。いつもなら雑踏に紛れて終わる。だが老女はホームのベンチに座り、端末へ声を吹き込んだ。
「遅くなってごめんね。今から――」
そこで残高が尽き、身体が静かに止まった。送信されなかった宛先には《孫》と表示されていた。詩央が盗まなければ、最後の言葉は届いていた。
その夜、夢の中で老女は同じ台詞を何度も言った。続きを知らないため、毎回そこで途切れた。詩央は四十八年を抱えながら、一秒も眠れなかった。
彼は時間管理局へ出頭した。職員AIは盗難総額を算出し、利息を含め四十七年六月を被害者へ返還すると告げた。詩央には六か月ほど残る。
「返したら、あの人は生き返るのか」
《いいえ。受取不能分は遺族へ移ります》
詩央は承認した。老女の孫には三秒と、未送信音声が渡った。数日後、短い返信が届いた。
《祖母は、いつも最後に「夕飯を温めておく」と言いました。続きは分かります》
詩央は泣き、その晩初めて眠った。夢には誰も出てこなかった。六か月は短い。それでも借り物ではない眠りと朝を持てるなら、四十八年より長く感じられた。
残った六か月、詩央は駅の案内係として働いた。端末の操作に迷う老人へ触れるたび、以前なら盗めた秒が目に入る。今は目的地まで付き添い、自分の時間を使った。最後の日、彼の隠し口座は空だったが、眠りに入る前に思い出せる一日が、自分のものとして残っていた。