最後の配当
帆足遼平と苑子は、婚姻届を出さないまま二十二年暮らした。苑子が難病を患ってからの十二年、遼平は仕事を在宅へ切り替え、投薬も呼吸器も一人で覚えた。
苑子の姉・満貴と弟・貫太は、盆暮れにも顔を見せなかった。けれど葬儀では、遼平より前に遺影の横へ座った。
「法律上、あなたは他人ですから」
満貴は合鍵を差し出せと言い、貫太は苑子が創業したデザイン会社へ乗り込んだ。二人は自分たちが株式を相続したと思い込み、社長室の金庫から配当準備金を引き出して半分ずつ送金した。遼平には一週間で家を出るよう通告する。
「介護した分は、苑子と暮らせたことで十分でしょう」
遺言の開示日、二人は高価な喪服で現れた。遼平は苑子の古いカーディガンを畳み、末席に座る。
会社の顧問弁護士が最初に株主名簿を映した。苑子は三年前、医師による意思能力確認と取締役会の承認を経て、全株式を遼平へ譲渡していた。対価は、遼平が会社の債務を引き受けることと、苑子の療養生活を支える契約。贈与税も譲渡税も処理済みだった。
「では、私たちが相続する現金は?」
貫太が尋ねた。
弁護士が公正証書遺言を読み上げる。苑子の死亡保険金の受取人は遼平。自宅も生前に遼平との共有登記へ変更されている。遺産として残った主な資産は二本の貸付金債権だった。
一本は、満貴が店を開くため苑子から借りた三千五百万円。もう一本は、貫太の住宅購入資金二千八百万円。二人は長年「姉にもらった」と言って返済していなかったが、署名入りの金銭消費貸借契約書と毎年の残高確認書がある。苑子はその債権を遼平へ遺贈していた。
満貴の声が裏返る。
「身内から本当に取り立てる気?」
遼平は、病床で苑子が最後に押した封印を開いた。
《私を他人扱いした人たちに、遼平まで他人扱いされる必要はありません》
会社の経理責任者が、二人が勝手に送金した配当準備金の返還請求書も重ねた。満貴と貫太が受け取るはずだった「最後の配当」は存在しない。
遼平は二本の契約書を二人の前へ一枚ずつ置いた。
「相続人として来たお二人に、債務者としてお帰りいただきます」