月影温泉の貸切札
月影温泉の貸切風呂から、波多野耀一が十二人の仲間を連れて出てきた。
「湯がぬるい。料金は払わない」
予約は一名。脱衣所には酒瓶が転がり、石灯籠は真っ二つだった。
番頭の芹生つぐみが請求票を差し出すと、耀一はそれを扇のように振った。
「俺の動画チャンネルを知らないの? 登録者百万人だぞ。宿が客へ修理代を押しつけたって流せば、明日には廃業だ」
仲間が笑いながら、濡れた足で廊下を歩く。
「では、利用状況確認へご署名ください」
「一人で静かに入浴し、最初から灯籠が壊れていた、と」
耀一はわざと大声で読みながら署名した。
「ついでに従業員が暴言を吐いたとも書いとけ」
つぐみは貸切札を柱の読取口へ戻した。
札が人数を告げる。
『入室者十三名。持込瓶二十四本。石灯籠への衝撃、二十一時十四分』
温泉の貸切札は、遭難防止のため入退室人数と転倒音を記録していた。
「機械の故障だ」
「お客様の動画にも映っています」
耀一は入浴中、〈高級旅館を貸し切ってみた〉と生配信していた。アーカイブには、仲間を裏口から招き入れ、自分で石灯籠へ飛び乗る姿が残っている。
『壊れたら宿のせいにする。炎上したほうが再生される』
さらに彼は投稿予約画面まで見せていた。題名は〈悪徳温泉に閉じ込められた〉。公開時刻は入館の一時間前である。
「企画だよ。宿も宣伝になっただろ」
仲間の一人が酒瓶をそっと床へ戻し、別の一人は配信から顔を隠した。百万の登録者より先に、身内が彼から距離を取った。
耀一はつぐみの名札を撮影しようと携帯を向けた。
「謝罪動画に出ろ。土下座したら請求は勘弁してやる」
その画面へ、所属事務所の代表から着信が入った。耀一は切ったが、貸切札の通報機能を通じ、ロビーの音声設備へ接続される。
『波多野。今の発言も確認した』
「社長、これはコラボで――」
『当社へ企画申請はない。むしろ宿から以前の器物損壊映像も受領した』
玄関で警察官が靴を脱いでいる。
代表は電子契約書を開き、館内放送ではっきり告げた。
『波多野耀一との専属契約を即時解除し、器物損壊と恐喝について刑事告発する』