未読チュートリアル

鷺宮ユノは魔城の階段を駆け上がりながら、視界を塞ぐ窓を殴った。

《チュートリアル1/7》

文章を最後まで読み、指示を実行してください。

未読項目があるためログアウトできません。

「今さら出すな!」

開始日に連打で閉じたはずの説明が、最終ボス直前で再表示された。閉じるボタンはない。仲間は先へ行き、階下から亡者が迫る。

《1.ゆっくり息を吸ってください》

ユノが息を吸うと、窓の数字が二へ進んだ。

《2.ゆっくり吐いてください》

《3.右手の人差し指を動かしてください》

ゲーム内の指を動かしても反応しない。説明には小さく、《アバター操作では達成できません》とある。

ログアウト不能になった五年前、ユノは交通事故に遭った。意識だけがVRへ逃げ込み、現実の身体は眠り続けていると聞かされた。なら、この指示はゲームの遊び方ではない。

彼女は現実の右手を探した。遠い。重い。何もない暗闇の底に、一本だけ糸がある。力を込めると、画面の指ではなく、どこかで小さな筋肉が震えた。

《達成》

四、まぶたを開く。五、声を出す。六、自分の名前を思い出す。

亡者が階段を上がってくる。仲間が戻り、ユノのアバターを守る。彼女は戦わず、現実の身体へ一つずつ命令を送った。

最後の項目が開く。

《7.帰りたい場所を口にしてください》

魔城、開始村、仲間の家。どれも大切だ。けれどユノは、事故の朝に食べ損ねた母の味噌汁を思い出した。

「家」

ゲーム内では掠れた声だった。現実では、病室のマイクが小さな音を拾った。

窓が消え、魔城の最上階が病室の天井へ変わる。仲間たちは泣きながら手を振った。彼らも自分のチュートリアルを開いている。

開始時に説明を飛ばしたこと自体が失敗ではない。事故直後の身体には、指示を実行する力がなかっただけだ。五年かけて筋肉と神経が回復し、今ようやく「読む」ことと「動く」ことが同じ意味になった。

《全チュートリアルを完了しました》

《本項目はゲーム操作説明ではありません――長期昏睡患者向け覚醒訓練です》

《現実世界での基本動作を確認。ログアウトを許可します》