机の横のブレザー
衣替えの日、教室の後ろに一着だけブレザーが残った。
持ち主は五月から学校へ来ていない。
理由を詳しく知る人はいなかった。家の事情らしい、体調らしい、転校するかもしれない。噂だけが増えた。
担任は終礼で言った。
「暑くなるから、誰か家へ届けてくれないか」
私は手を挙げた。
けれど放課後、ブレザーを持って校門まで行き、引き返した。
家の前で何と声をかければいいか分からなかった。
翌日も、机の横へ掛けた。
白い夏服ばかりの教室で、その紺色は目立った。
誰かが「もう片づければ」と言うたび、私は「明日来るかも」と答えた。
一週間。二週間。
ブレザーの肩に薄くほこりが積もり、私は週に一度払った。
夏休み前の最後の日、担任が改めて言った。
「秋まで置いておくと、傷むぞ」
私はとうとう袋へ入れた。
そのとき、教室の扉が開いた。
持ち主が立っていた。
髪が少し伸び、白い夏服を着ている。前より痩せたようにも、背が伸びたようにも見えた。
「取りに来た」
私は袋からブレザーを出した。
本人は袖を通そうとして、肩で止まった。
「小さい」
教室中が笑った。
本人も笑った。
来られない間に体が大きくなったのか、前からきつかったのかは分からない。
「じゃあ、置いといた意味ないじゃん」
私が言うと、本人はブレザーを抱えた。
「意味あったよ」
「何が」
「戻る場所に、まだ自分の服があった」
その言葉で、教室が静かになった。
夏休み明け、本人は毎日ではないが学校へ来るようになった。冬服の時期には、新しいサイズのブレザーを着ていた。
古い一着は、卒業までロッカーに入っていた。
卒業式の日、みんなで寄せ書きをして渡した。袖の短いブレザーは、もう制服ではなくなっていた。
来られなかった季節と、戻ってきた瞬間を一緒に包む、クラスで一番大きな記憶になっていた。
今でも古い写真を見ると、夏服の列の端に紺色の一着が写っている。本人がいない間も、教室が席を空けて待っていた証拠だ。
待つことも、クラスの出席の一部だった。