治癒魔法は過去形で

「能力なしの手で触れば、患者が迷惑する」

治癒科の実技教官ヘルミナは、雨宮琴葉を試験台の端へ追いやった。課題は傷ついた薬草鼠の切り傷を塞ぐこと。琴葉は光も聖気も出せず、治癒水晶は一度も反応しなかった。

琴葉は試験前から、布の下に隠された小さな体が冷えすぎていることに気づいていた。周囲の教師は誰も目を合わせない。

その日、試験台へ運ばれた薬草鼠はすでに息をしていなかった。

貴族生の失敗を隠すため、教官は死んだ個体を琴葉へ割り当てたのだ。治せない理由を彼女の無能にするつもりだった。

「早く始めなさい。制限時間は一分よ」

琴葉は小さな胸に手を当て、鼓動がないことを確かめた。前世で救急看護師だった彼女には、死を傷と呼ぶごまかしが許せなかった。

《能力・結果取消――対象に起きた結果を、一度だけなかったことにする》

彼女は傷ではなく、冷えた体へ告げた。

「あなたが死んだという結果を、取り消します」

治癒光は出なかった。

ただ、時計の秒針が一度逆に跳ねた。薬草鼠の胸がふくらみ、細い息が戻る。切り傷だけでなく、毒で変色していた毛も元へ戻り、鼠は琴葉の指へ鼻先を寄せた。教室の隅で泣いていた飼育係が息を呑む。昨夜から行方不明だった個体で、名前はミントだと、小さく呼びかけた。鼠はその声へ耳を動かした。

同時に、隣室から轟音がした。

学院が百年間保存していた英雄の遺体、その死亡判定を支える巨大な治癒水晶が連鎖的に反応したのだ。水晶は「死の取消」という術式を測れず、中央から粉雪のように崩れた。透明な棺の中で、伝説の聖騎士がゆっくり目を開く。

琴葉は二人目へ力を使っていない。能力の余波だけで、学院の奇跡が目覚めたのだ。

教官ヘルミナは椅子から転げ落ちた。治癒法院の長、白冠医ロザリンドが立ち上がり、琴葉の前で両手袋を外す。医師が最高敬意を示す作法だった。

「傷を塞ぐ試験は終了します」

彼女は元気に鳴く薬草鼠を抱き上げた。

「我々が過去形にしていた命を、あなたは現在形へ戻した」

採点欄には点数ではなく、《蘇生権限・学院外》と記された。