海図にない曲がり角
洋上風力発電所から陸へ延びる海底ケーブルは、最短距離なら一直線になる。それなのに諏訪部直央の敷設案は、沖合で大きく西へ曲がっていた。
筒井広嗣部長は当初、「素人でも引ける線だ」と却下した。海洋調査会社が安全性を認めると、今度は自分が潮流を読んで決めたルートだと役員会で発表した。
本契約の調印日、発注元の荒牧慧事業代表が海図を広げた。
「筒井さん。この曲がり角には何がありますか」
筒井は指先で青い海をなぞった。
「複雑な潮流です。将来の保守性も考えました」
「潮流は東西方向です。西へ曲げる理由になりません」
「海底地質の問題でしょう」
「調査報告では安定した砂礫層です」
直央は黙っていた。筒井から、余計な発言をすれば評価を下げると言われていたからだ。
荒牧が名前を呼んだ。
「諏訪部さん、あなたの線でしょう。説明してください」
直央は、曲がり角の東側に海図未記載の沈船があると答えた。百年前の貨物船で、船体より危険なのは散乱した銅線だった。ケーブル敷設機の刃に絡めば、工事船ごと停止する。さらに沈船は漁礁になっており、直線ルートでは地元漁協の操業域も分断する。
「見つけた根拠は?」
「漁師さんの古い呼び名です。あの海域だけ『鐘の底』と呼ばれていたので、音響探査を追加しました」
荒牧は笑った。
「その追加費用を筒井さんは無駄だと差し戻した。弊社が直接、諏訪部さんへ再調査を頼んだのです」
筒井が椅子から身を乗り出した。
「最終的に部として採用したのは私です」
「採用ではなく、調印前日に自分の名へ変更したのでしょう」
荒牧はファイルの更新履歴を映した。ルート作成者は直央、説明文も直央。筒井の操作は、表紙の責任者欄を直した一回だけだった。
契約書は総額八十億円。荒牧は署名欄の上にある特約を読み上げた。
「海洋設計責任者は諏訪部直央。変更する場合、発注者は違約金なく解除できる。私たちは筒井さんではなく、この曲がり角を引いた人と仕事をします」
社長は筒井の前から調印用の万年筆を取り、直央へ渡した。
直央が署名すると、巨大スクリーンの海図に責任者名が刻まれた。西へ曲がる一本の線は沈船を避けると同時に、筒井の席だけを契約から切り離した。