深夜料金の遠回り
午前零時を回った瞬間、菱沼奏多のタクシーメーターから、料金案内ではなく歌が流れた。
空車の表示は消え、行き先欄に〈PLAY〉と出る。イントロはウインカーの規則音と、雨を払うワイパーの擦れ。昼間に整備工場で試しても何も起きず、深夜料金へ切り替わる一秒だけ再生ボタンが現れた。
「遠回りしよう」
その声に、奏多は五年前の女性客を思い出した。赤い傘を持ち、海浜公園まで乗った若い女性。翌朝、彼女は行方不明になった。最後に乗せた運転手として事情を聞かれたが、奏多は公園前で降ろしたと証言した。車載カメラは故障し、記録は残っていなかった。
Aメロに入ると、ナビが勝手に発進経路を表示した。公園へ向かう最短路ではなく、監視カメラの少ない倉庫街を縫う道。メーターの加算音が曲のスネアになり、交差点を曲がるたび、料金ではなく過去の時刻が増えていく。
「遠回りしよう」
二度目のフレーズで、奏多は女性が誰かから逃げていたのだと思った。あの夜も後部座席で震え、何度も後ろを見ていた。自分は安全な道を選んで彼女を守ろうとした。そう記憶していた。
サビでナビ画面に、削除された車内音声が復元された。
〈真っすぐ警察へ行ってください〉
〈この時間は検問がある。少し回る〉
女性の声に続き、奏多自身の荒い息。酒瓶が転がる音。彼は勤務前に飲んでいた。検問を避けるため倉庫街へ入り、急カーブで歩行者をはねた。女性は通報しようとし、奏多はスマートフォンを奪った。海浜公園で降ろしたのではない。事故の共犯に見せると脅し、倉庫で口を塞いだ。
車は五年前と同じ岸壁へ着いた。ヘッドライトの先に捜査車両が並んでいる。匿名の曲は、廃車前のメーター基板に残った走行ログを、女性の家族が音へ変換したものだった。
最後の一音でドアロックがかかる。メーターには未払い料金ではなく、女性が監禁されていた倉庫の番号が表示された。
「遠回りしよう」
怯えた客の提案ではなかった。罪を隠すため、奏多が監視の目から逃れようと選んだ道だった。