火を消すまでの母

父の再婚後、娘は新しい母親を名前で呼んだ。

相手も無理に「お母さん」と呼ばせなかった。

礼儀正しく、喧嘩もしない。

それが家族らしくないと、父だけが心配していた。

亡くなった母のエプロンを処分しようとした日、ポケットから薄い透明布が出てきた。

新しい母親が腰へ巻くと、台所の火がついている間だけ、姿が消えた。

ちょうど娘が帰宅した。

誰もいないと思い、棚から亡き母の料理帳を出した。

開いた頁は、鶏肉の煮込みだった。

娘は写真の母へ小さく話した。

「今日、あの人が同じ料理を作るって」

鍋の前の新しい母親は息を止めた。

「嫌じゃないよ。でも、おいしかったら困る」

娘は続ける。

「好きになったら、お母さんの場所を取られるみたいだから」

新しい母親は、娘に嫌われていると思っていた。

料理を残される日。

買い物を断られる日。

亡き母と比べられないよう、何でも控えめにしてきた。

距離を置けば傷つけないと考えていた。

娘は料理帳へ額を付けた。

「本当は、味見くらいしたい」

鍋が吹きこぼれ、新しい母親は慌てて火を消した。

姿が現れる。

娘が悲鳴を上げ、料理帳を隠した。

二人とも黙った。

盗み聞きを謝るべきか、聞いた内容へ答えるべきか、新しい母親には分からない。

「味見、する?」

結局それだけ尋ねた。

娘は怒った顔で、

「どこから聞いてたの」

「おいしかったら困る、から」

「ほとんど全部じゃん」

二人で鍋を見た。

煮込みは焦げ、母のレシピとは程遠い。

娘が一口食べ、

「お母さんの方がおいしい」

と言った。

新しい母親は傷つき、同時に安心した。

「うん。これは私の失敗」

娘はもう一口食べた。

「でも、この焦げたところは嫌いじゃない」

それから二人は料理帳を一緒に使った。

母の味を再現できる料理も、できない料理もあった。

娘は新しい母親を名前で呼び続けた。

呼び方を変えることを、仲良くなる証明にしなかった。

父が「二人、最近どうした」と不思議がる。

娘は、

「台所の共同経営者」

と答えた。

透明布は次に火へ近づけても、もう誰も消さなかった。

代わりに、聞きたいことがある日は先に言う。

「今、入っていい?」

「今日は一人にして」

「味見だけなら」

亡くなった母の場所と、今いる人の場所は、同じ椅子を奪い合うものではなかった。

食卓には別々の味の皿を、並べて置くことができた。