灰色の鑑定写真

柚木崎冬馬刑事は、暗室で一枚のカラーポジを光へ透かした。

十八年前のひき逃げ事件。野瀬圭吾の車から人血反応が出たとして有罪になった。法廷へ提出された鑑定写真は白黒で、検査紙に黒い一本線が鮮明に写っている。

だが、原版ではその線だけが赤かった。

「陽性線ではありません。赤鉛筆です」

柚木崎が言うと、鴨志田廉造科学捜査研究所長は暗室灯を消した。

「写真の退色だ」

「線が検査膜の外まで続いています。試薬なら出ない位置です」

別の原版には、検査紙の横で赤鉛筆を持つ若い手が写り込んでいた。腕時計と指輪は、当時鑑定主任だった鴨志田の記録写真と一致する。さらに実験ノートの原紙には《人血陰性》と鉛筆で書かれ、その上から青インクで《微弱陽性》と訂正されていた。訂正印も鴨志田のものだった。裁判所は『科学的鑑定は虚偽供述の可能性を排する』と判決に書いた。野瀬がどれほど否認しても、灰色の一本線の方が人間の声より信用された。原版閲覧簿には、今日の柚木崎より前に十八年間、誰の名もない。遮光箱の封印には鴨志田の印があり、原版を白黒複写した者も、原版を見られないよう封じた者も同じだった。

鴨志田は低く笑った。

「車から被害者の衣服繊維も出た。反応を見やすく印を付けただけだ」

「繊維鑑定は、この血液反応を前提に『接触可能性が高い』と評価されています。互いに根拠を支え合っているだけです」

「判決が確定して十八年だ。今さら写真の色を問題にすれば、科捜研の鑑定全部が疑われる。警察が科学を偽造したという見出しになるぞ」

柚木崎は白黒の法廷提出写真を見た。色を奪えば、鉛筆も血液も同じ灰色になる。その灰色の上で、一人の人生が決まった。

鴨志田が原版へ手を伸ばす。

「保存期限切れだ。私が廃棄する」

柚木崎は先にライトボックスごと撮影し、画像を改変防止形式で保存した。カラーポジを遮光袋へ入れ、袋の封印欄に時刻と自分の名を書く。

《鑑定書虚偽記載の疑い》。そう記した移送票を、鴨志田の所長印が押された白黒写真の上へ置いた。