焦げた端を先に食べる
笹倉比奈乃は、料理を食べる前に必ず写真を撮った。食品会社の広報になってから、湯気より光、味より皿の余白を先に見る癖がついた。自宅の朝食まで撮り直し、冷めるころには食欲を失っていることもある。会社の投稿では、焼き色のむらも欠けた果物も画面から外す。数字が伸びるほど、その見方は正しいと証明された。けれど一人の朝にも同じ基準を持ち込み、最初の一口を食べる人より、最後の写真を見る人を優先していた。投稿には「丁寧な暮らしで憧れます」とコメントがついた。比奈乃は礼を返しながら、撮影に使わなかった焦げたパンを流しの前で立って食べる自分を、画面の外へ隠していた。
撮影スタジオの改修中、十六日だけ借りた部屋で、比奈乃は倉橋稀和と暮らした。稀和は菓子店の開業準備中で、夜になると台所で試作品を焼いた。形の崩れたものも、焦げたものも、同じ籠へ入れる。稀和は試食の順番も決めず、焼けたものから口にした。店名や包装紙はまだ白紙なのに、味を見る時間だけは後回しにしなかった。
ある晩、焼き上がった小さなガレットを並べながら、稀和が訊いた。
「一番おいしい形、どれだと思う?」
比奈乃は円が整った一枚を選んだ。稀和は何も言わず、端が黒く焦げた一枚を割り、先に食べた。
「明日の朝、盛りつける前に一口だけ食べてみて」
「商品の確認ですか?」
稀和は首を横に振っただけだった。
翌朝、比奈乃はパンケーキを焼いた。最初の一枚は火が強く、片面だけ濃い茶色になった。いつもなら撮影に使わず、自分の皿の下へ隠す。二枚目をきれいに焼き、果物を切り、窓辺へ運ぶつもりだった。
スマートフォンを立てたところで、焦げた端が目に入った。誰にも見せない失敗なら、食べる順番まで後回しにする必要はない。きれいな二枚目が焼けるまで待つうちに失われるものも、たぶん温度だけではなかった。比奈乃は皿を出す前の台所に、自分も客として立っている気がした。
比奈乃はパンケーキを台の上で折り、端を指でちぎった。熱くて、少し苦い。けれど中心にはまだ柔らかい甘さが残っていた。
画面には撮影アプリが開いたままだった。比奈乃はシャッターへ伸ばした指を止め、もう一口ちぎる。
写真のない湯気を、熱いうちに口へ入れた。