狼化を止めたい兵士と銀杏湯

満月の前夜、兵士ハーゲンは薬屋《月裏》のカウンターへ両手をついた。

爪がすでに伸び始めている。

「今夜だけ、狼にならない薬を」

店主フェリクは彼の瞳を覗いた。虹彩の縁が金色へ変わり、耳の後ろには獣毛が生えている。

「毎月、休暇を取ればいいでしょう」

「今夜は西門の当番だ。隊長は俺が狼憑きだと知らん。交代を頼めば、臆病者として除隊される」

「狼になるほうが騒ぎでは?」

「だから来た。西門の向こうには妹の暮らす通りがある。今夜だけは持ち場を離れられん」

フェリクは棚から銀杏色の粉薬を一包だけ出した。

「銀杏湯。月の光を消す薬ではありません。体に『今夜の月はまだ半分だ』と思い込ませます」

「そんな都合よく騙せるのか」

「人の体は、本人より素直です」

熱湯へ粉を溶かすと、森の土と焼いた木の実の匂いがした。

ハーゲンは顔をしかめ、一息に飲み干す。苦さに喉を鳴らした、その瞬間、窓から満月の光が差した。

肩が盛り上がり、制服の縫い目が悲鳴を上げる。爪が机を削り、牙が唇を押す。

しかし変化はそこで止まった。

獣毛は首筋から先へ進まず、手は大きいままでも指の形を保っている。何より、金色の瞳に理性が残っていた。

「……俺は誰だ」

「知りません」

「ハーゲンだ。西門第三班」

「なら効いています」

彼は自分の手を開き、閉じた。剣の柄を握れる。言葉も話せる。

「完全には人間じゃない」

「完全な狼にもならない。今夜の目的には十分でしょう」

「西門に出た魔獣は、むしろこの爪のほうが倒しやすいな」

ハーゲンは口元を上げた。牙が見えたが、さっきまでの焦りはない。

銀貨を置き、さらに同じ額を重ねる。

「次の満月分も取り置きしてくれ。除隊されずに済んだら、毎月買う」

「瓶売りはしません。一包ずつです」

「なぜだ」

「飲みすぎると、新月まで半月だと思い込みます」

「それは困る」

夜明け、フェリクが店先を掃いていると、西門から使いが来た。

狼の爪痕が残る魔獣の角と、追加の銀貨が袋に入っている。添えられた紙には、乱暴な字で一言。

――来月分、予約。

紙を帳面へ挟んだところで、扉の鈴が鳴った。

月明かりを嫌うように、深い頭巾の客が入ってきた。