玄関に置く光
碓井玲奈は、帰宅するまでにスマートフォンを百回以上見る。仕事の連絡、動画、ニュース、友人の近況。見たいものは少ないのに、画面を消すと、取り残されたような気がした。帰宅後も動画を流したまま夕食を食べ、眠る直前まで他人の一日を眺める。静かになると、自分の部屋に何も起きていないことが急に広く感じられた。けれど朝には、見続けた内容をほとんど覚えていない。先週、友人に「昨日送った話、どう思った?」と聞かれ、玲奈は既読をつけたことしか思い出せなかった。画面を見ている時間は長いのに、誰かと一緒にいた実感は薄い。通知が途切れると孤独になるのではなく、最初から孤独だったことが見える気がした。
終バスを待つベンチで、隣の女が紙のクロスワードを解いていた。西谷皐月、五十歳。名乗ったのは、玲奈が三度も同じ通知を開いているのを見て笑ったあとだった。
「家に着いたら、最初に誰が迎えるの?」
「一人暮らしなので、誰も」
皐月は鉛筆の先で、玲奈の手の中を指した。
「それが一番に光るでしょう」
「まあ」
「じゃあ今夜、それに『ただいま』って言って、玄関へ置いてみて。お湯が沸くまで迎えに行かない」
玲奈は思わず笑った。
「スマホに挨拶するんですか」
「変なら、小声で」
バスが来ると、皐月はクロスワードを途中のまま畳んだ。どこで降りるのか訊く前に、前の席へ移ってしまう。
帰宅した玲奈は、鍵を開けながら画面を見た。未読が十二件。上司から、明朝でもよい確認が一つ。友人の旅行写真が七枚。ニュース速報が二つ。どれも今すぐでなくていいと知っているのに、指が上司の名を押しかける。
玄関の明かりが自動でついた。
玲奈は靴を脱ぐ前に、スマートフォンへ向かって「ただいま」と言った。声が思ったより部屋に響き、恥ずかしくなる。
画面を伏せ、靴箱の上へ置く。すぐに一度震えた。
玲奈は振り返らず、暗い廊下を台所へ歩いた。やかんに水を入れる音のあいだも、玄関では小さな光が何度か点いたが、迎えには戻らなかった。