王太子の赤い喉
料理人キルセが王宮を追放された翌日の晩餐会で、王太子エルディオンの喉が赤く腫れ上がった。
卓上に毒はない。銀食器も変色しない。なのに王太子は息ができず、椅子ごと床へ倒れた。
「医師を! 料理人を捕らえろ!」
新任の宮廷料理長は泣きながら、最高級の月海老を使ったと答えた。それこそが原因だった。
エルディオンは幼いころから月海老を食べると喉が腫れる。だが本人も侍医も、その事実を知らなかった。キルセだけが、王太子が海老の殻に触れた日だけ耳の裏を掻くことに気づき、十年間、祝い膳から月海老を外していた。
彼女は献立表に理由を書かなかった。王位継承者に食物弱点があると敵国へ知られれば、暗殺に使われるからだ。代わりに似た色と食感の花魚を使い、誰にも気づかせなかった。
秘密を守った結果、「伝統料理を知らない無学な女」として追放された。
古い献立帳には、月海老の欄だけ花魚の絵が重ねて描かれていた。キルセは侍医が替わるたび、口頭で注意を伝えていたが、王太子自身は厨房の配慮を当然と思い、確かめもしなかった。守られていた者ほど、守りがあることを知らなかった。
同じ夜、キルセは城下の孤児院で夕食を作っていた。子ども一人一人に、食べられない物を絵札で選ばせる。卵を指した子には豆の焼き菓子を、乳を指した子には果実の氷菓を出した。
院長は、全員が同じ皿に見える工夫を見て目を細めた。
「食べられない子だけが、恥をかかずに済むのですね」
キルセは〈個別食厨房長〉として迎えられた。小さな厨房だが、誰の体質もわがままと呼ばれない。
翌朝、王宮の近衛兵が扉を叩いた。王太子は一命を取り留めたという。
「殿下がお戻りを命じている。月海老の件を知るのはお前だけだ。口外せず、従来通り食事を整えよ」
「私を追放した理由は、伝統に背いたからでしたね」
近衛兵は目を逸らした。
「事情が変わった」
キルセは子どもたちの体質札を棚へ収め、鍵を掛けた。
「事情ではなく、見る目がなかっただけです。王宮との奉職契約は、追放令が読み上げられた時点で終了しています」