異動通知の青い丸
二十三時五十五分、雅帆は社内ポータルの更新ボタンを押した。
明日から課長になる。部下には恭士も含まれていた。半年ほど前から、退勤後に二人で食事をすることが増えた。仕事の相談が終わっても店を出ず、終電の時刻だけを互いに確認する夜が続いた。恭士の好意には気づいているし、雅帆も同じだったが、立場が決まってからは返事を避けた。上司になる人間が、部下の選択を曖昧にしたくなかった。好意を断れば査定を恐れさせ、受け入れれば昇進を利用したと思われる。好きだからこそ、返事をする権利まで奪いたくなかった。
今夜、恭士の異動申請の結果が出る。承認されれば別部署。否認なら、何も始めない。その線だけは守るつもりだった。恭士からの《結果が出たら話したい》を、雅帆は二時間、未読のままにしていた。
残業フロアには二人きり。自動消灯した島が黒く沈み、雅帆たちの机だけが非常灯に照らされていた。自販機の低い音だけが続いていた。エレベーターの最終運転まで五分だった。
「まだ出ませんか」
「公平でいたいから、待つ」
「異動が通れば公平?」
「少なくとも評価はしない」
「じゃあ、通らなかったら?」
「この話は終わり」
恭士は机の間を回り込まず、雅帆の隣に立った。窓とデスクに挟まれ、雅帆は画面から逃げられない。
「俺は、課長になる前から好きでした」
「それを今言うのはずるい」
「公平でいたいなら、聞いたことも忘れますか」
「忘れない。でも使わない」
零時、ポータル右上に青い丸がついた。異動申請――承認。配属日は翌月一日。恭士の上司になる時間は、あと三十一日だけ残っていた。
恭士が息を吐き、社員証を外した。
雅帆は三度目の言葉を、役職ではなく自分へ向けた。
「公平でいたい。だから、ここから先は会社の外で話したい」
エレベーターの最終運転は終わっていた。雅帆は警備室へ電話する代わりに、個人用の連絡先から恭士へ駅前の深夜喫茶の位置情報を送った。社内チャットは閉じ、私用の通知だけをオンにした。