百万円の封筒
礼未が封筒を開くと、介護施設の入居一時金と書かれた見積書が入っていた。
金額は百万円。実家の食卓で、兄は湯呑みを置きながら言った。
「礼未が立て替えてくれないか。結婚資金、貯めてるだろ」
姉も「私は住宅ローンがあるから」と続ける。母は黙って、礼未の前にだけ昔使っていた花柄の茶碗を置いた。小さいころ、お年玉を預けるたび「家族のために貯めようね」と言われた茶碗だった。
父の施設入居には賛成している。母一人での介護はもう限界だ。それでも、必要な金額がそのまま末娘の口座へ向けられる理由にはならない。
兄は以前から、礼未を「堅実な子」と呼んだ。褒め言葉のようで、家族の急な出費に備えて貯めている人という意味だった。礼未が何のために貯金しているかは、一度も尋ねられない。
「立て替えはしない」
兄の眉が上がった。「じゃあ入れないぞ」
「まだ父の預金も、介護保険の負担限度額も確認してない。三人の負担額も決めてない」
礼未は見積書を封筒から出し、裏に三本の線を引いた。
「私は毎月二万円まで。初期費用は父の資産を先に使う。足りない分は収入に応じて分ける。数字を全部見せてもらえないなら、一円も振り込まない」
母が小さく「お金の話ばかりで嫌ね」と言った。
「お金の話をしないまま、私のお金にするほうが嫌だよ」
沈黙のあと、姉がスマートフォンを出した。「父さんの通帳、明日確認する。制度のことは施設に聞こう」
兄は不満そうだったが、見積書の写真を撮った。礼未は百万円の封筒を兄へ返し、自分の茶碗を食器棚の大きいものと替えた。
帰宅後、兄から収支表が共有された。父の預金で初期費用の大半を賄えること、残りは三人で分けられることが分かった。
礼未は自分の欄へ〈月二万円・六か月ごとに見直し〉と入力した。家族を助ける額を、家族に決めさせないためだった。
百万円は消えなかった。けれど、一人の封筒から三人と制度の表へ移った。礼未は花柄の茶碗を持ち帰らなかった。預けたものを、また黙って差し出す席には戻らない。