眠らない子守歌
幼児室のいちばん小さな寝台で、王子は三日眠っていなかった。
熱に浮かされ、目を閉じるたび亡き母を呼んで起きる。侍医は薬を替えたが、眠らなければ夜を越せないと言った。
王宮の古い子守歌を最後まで歌えば、聞いた者は必ず朝まで眠る。代わりに、歌った者はその後、二度と眠れなくなる。
乳母たちは歌詞を知っていた。けれど誰も歌わなかった。眠りを失えば、体は少しずつ壊れる。十日で手が震え、ひと月で昼と夜の境が消え、やがて自分の名前さえ夢だと思うようになる。
幼児室付き侍女のナルーシャも、歌詞を知っていた。
彼女は夜が好きだった。勤務を終え、屋根裏の狭い寝台へ潜り、雨音を聞きながら眠る時間だけは、誰にも命じられない。来月王宮を辞めたら、港町で宿屋を始める姉を手伝う。白いシーツを干し、昼寝のできる小部屋を自分のために取っておく。それがささやかな夢だった。
王子は彼女の指を握った。
「眠ると、お母さまがいなくなる」
「目を覚ましていても、寂しいでしょう」
「でも、忘れそうで怖い」
ナルーシャは答えられなかった。王子の母が亡くなった夜、廊下で小さな背中を抱いたのは彼女だった。泣き疲れて眠った王子を寝台へ運び、朝まで手を離さなかった。
今はその手が熱い。呼吸が浅くなるたび、侍医の顔が険しくなった。
窓の外で雪が降り始める。ナルーシャは寝台の縁へ腰掛けた。
「歌の終わりまで聞けば、お母さまの夢を見ずに眠れます」
「ナルーシャも、そばにいる?」
「朝まで」
その先の朝については言わなかった。
歌い始めると、部屋の蝋燭が一つずつ静かになった。王子の指から力が抜け、眉間の皺がほどけていく。
最後の節だけが喉に残る。ここでやめれば、代価は払わずに済む。王子は薄く目を開け、「つづき」と囁いた。
ナルーシャは、姉の宿の白い寝台を思った。雨の休日、寝坊する未来。夢を見るという当たり前の幸福。
そして最後の一節を歌った。
王子の呼吸が深くなり、侍医が安堵して毛布を掛け直す。
夜明け、幼児室の全員が椅子や床で眠り込んだ。ナルーシャも目を閉じようとした。
瞼は下りる。けれど意識だけが、灯りを消し忘れた部屋のように、明るいまま残った。