砂を入れない客

「砂は部屋へ持ち込まないでください」

砂海の宿〈琥珀井戸〉で、女主人ソラヤは一日何度も敷物を叩く。窓の隙間へ布を詰め、水甕の蓋を確かめ、客の外套から砂を払う。砂漠では、掃除を怠る宿から先に埋まるのだ。ところが〈琥珀井戸〉だけは百年、入口の高さすら変わっていない。隊商たちは、女主人が毎朝よほど念入りに掃くからだと信じていた。

隊商の会計係イネスは、帳簿仕事のため夜更けまで食堂に残っていた。風がないのに、床の砂が一か所へ集まり始める。やがてそれは黄金の顔となった。

砂皇ザハル。古代都市を丸ごと飲み込み、地図から消した精霊王である。井戸の水を奪い、宿を新しい宮殿にしようと天井まで膨れた。水甕は一瞬で空になり、遠くのオアシスまで干上がる音が、地面の下から響いた。

ソラヤは棚から小さな砂時計を下ろした。

「掃いても掃いても、きりがありませんね」

砂時計を逆さに置く。

宿を満たした砂嵐が、針の穴ほどの落ち口へ吸い込まれた。砂皇は王冠を押さえ、砂漠そのものを呼び寄せて抵抗したが、その砂漠まで細い筋となって硝子の中へ落ちていく。最後の一粒が沈むと、上の器には何も残らなかった。下の器で砂皇は小さな人影となって拳を振り上げたが、硝子を一粒たりとも傷つけられない。

イネスは帳簿を落とした。砂時計の側面に刻まれていたのは、大魔法使い〈時砂の母〉の紋章。千年前、砂漠の進行を一晩止めた存在だ。

「あなたが、そのご本人……?」

「帳簿に砂が挟まっていますよ」

ソラヤは床を箒でひと掃きし、ひび割れた水甕を指でなぞって直した。砂皇の黄金片は砂時計の底へ沈み、魔力の跡は敷物を叩く音とともに消える。客室では赤ん坊さえ眠ったままだった。

翌朝、外へ出たイネスは驚いた。宿の周囲だけでなく、隊商路の砂が一晩できれいに退いていたからだ。埋もれていた古い道標まで、朝日に文字を見せていた。

戻ると、新しい客が靴のまま上がろうとしていた。ソラヤは昨夜の砂時計を棚へ戻し、変わらぬ笑顔で声をかけた。

「砂は部屋へ持ち込まないでください」