社長の息子になった午後
印刷会社の社長・麻植広岳は、部下の秦泉寺壱成へ頼んだ。
「一時間だけ、私の息子のふりをしてくれ」
「なぜです」
「古い取引先との食事会だ。息子が渋滞で遅れている。後継者が来ないと格好がつかん」
「顔が違います」
「遠縁に似たと言えばいい」
料亭には、取引先社長と娘の玲沙が待っていた。
取引先社長は壱成を見るなり笑う。
「立派になったな。娘から話は聞いている」
壱成は思った。新規事業の提携話だろう。
「将来を見据え、責任を持って取り組みます」
玲沙が頬を赤らめる。
「そこまで考えてくださって」
麻植社長が小声で尋ねる。
「お前、何の話を」
「後継者同士の提携ですよね」
「ある意味、そうだ」
取引先社長が続ける。
「娘は仕事一筋で、家のことは苦手だ」
「業務分担は明確にします」
「料理もできん」
「外注可能です」
「子どもは」
「長期計画に含めます」
玲沙が箸を落とした。
壱成は首をかしげる。
「新規部門の人員ですよね?」
麻植社長は額を押さえた。
玲沙が尋ねる。
「私のどこを評価して?」
「判断が早く、数字に強いところです」
「女性としては?」
「取引先のご令嬢として信頼しています」
「距離がありますね」
「契約前ですので」
取引先社長が笑う。
「慎重な婿だ」
“婿”で壱成はようやく気づいた。
「これは、結婚の顔合わせですか」
「今さら何を」と玲沙。
壱成は麻植社長へ向く。
「息子のふりだけでは?」
「本物の息子と玲沙さんが交際中だ。今日は結婚の挨拶でもある」
「最重要情報を省きましたね」
「一時間、会話をつなげと頼んだ」
「婚約までつながりました」
その時、本物の息子が駆け込んできた。
「遅れました!」
取引先社長が二人を見比べる。
「息子が二人?」
壱成は即座に立ち上がった。
「私は代替後継者です」
玲沙が笑う。
「さっき、子どもの長期計画まで」
「新規部門の話です」
本物の息子は事情を聞き、壱成へ頭を下げた。
「父より僕の結婚を具体的に考えてくださったそうで」
壱成はその日、昇進した。
役職は後継者ではなく、社長代理だった。