祝杯から始まった開戦
外交参謀ナルシェドが国外追放された翌日、王子ゼドリアは隣国の大使を迎えた。
戦争を避けるための会談だった。
王子は豪華な杯を掲げ、勝利の葡萄酒を注いだ。
「両国の新しい時代に乾杯しよう」
大使は杯へ触れなかった。
彼の背後には、先の小競り合いで王国が奪った隣国旗が飾られていた。本来は最初にその旗を返し、次に捕虜の釈放を告げ、最後に同じ杯で乾杯する予定だった。順番を逆にしたため、王子の言葉は「お前たちへの勝利を祝う」としか聞こえない。
大使は席を立ち、その日のうちに国境軍が動いた。
「旗一枚で戦争になるものか!」
王子は怒った。
だがナルシェドは、贈り物や謝罪の中身ではなく、相手がどの時点で何を知るかを組み立てていた。彼の会談案にある番号を、王子は話術に自信があるからと消していた。
最初の一手を間違えれば、後に続く善意は全て言い訳になる。
国境では、会談決裂を知らせる火が三つ上がった。市場は閉まり、捕虜交換のため待機していた家族は門前から追い返される。王子が後から旗を返すと申し出ても、大使は「脅しが失敗したから返すのだ」と受け取った。順番を誤った善意は、前の侮辱を証明する材料に変わっていた。
王子はナルシェドの草案を開き、各項目の横に相手国の感情が一語ずつ記されているのを見つけた。誇り、安堵、利益。彼が並べていたのは儀式ではなく、相手が次の話を聞ける心の状態だった。
その頃ナルシェドは海洋共和国で、敵対する二つの島の代表を迎えていた。
彼はまず双方の拿捕船名簿を交換させ、次に行方不明者の帰還を確認し、最後に共同漁場の地図を広げた。代表たちは一度も握手しなかったが、翌朝から船を撃たないという文書へ署名した。
共和国使節ミスティアは、ナルシェドへ外交顧問の青い帯を渡した。
「美しい言葉より、相手が聞ける順番を作る人が必要でした」
夜、故国の白鷹が飛来した。王子の親書には、国境軍を止めるため帰国せよ。追放は誤解だったことにする、とある。
共和国は中立国として再会談を提案していた。ナルシェドも共和国顧問の立場なら席へ着く。戦争を止めることと、追放した王子の部下へ戻ることは別の話だった。
ナルシェドは国境を越えた時に受け取った国外追放証を添えた。
「王国との外交顧問契約は、この証書の発効をもって終了しています」